マーフィーと会った場所から、町に戻るのには、そう苦労はしなかった。直ぐに、地図のある場所に出られたからだ。瞬間移動の罠に掛かる迄見付けられ無かったのは、途中に一方通行の扉があったからだった。
しかし、町に戻って恒光の呪文で出来た光の球が、陽の光に溶けて行くのと同時に、アンディはまるで、陽の光に糸を切られた木偶のように、音も無く倒れ込んだ。陽の光の下で見ると、顔色は青褪めるを通り越して、白臘のように白くなっていた。身体に触れると、こちらの体温を吸収してしまうくらい、冷えきっていて、意識は完全に無い。
「おい、アンディ!」
「マーフィーとの接触が、かなりの負担になっていたようです。ゆっくり休めば、大丈夫でしょう」
慌てたような声を出したウォーリィに、アンディの右腕を取っていたジェフが、安心させるような調子で言う。
「呪文を掛けたが、いーんじゃねーの?」
ケインがソフィーの顔を見ながら聞いた。
「聖呪文では治らないでしょう。どちらかと言えば、吟遊詩人に頼んだ方が良いと思いますわ」
ソフィーが言う。聖呪文は精神に効く呪文は殆ど無い。例外的に完治の呪文があるが、肉体なら完全に治す事が出来る完治の呪文も、こと精神面となると、恐慌状態の者や催眠状態の者を元に戻す事が出来る程度なのだ。
「吟遊詩人?」
「吟遊詩人の使う呪歌の中に、精神を安定させる歌があったと思います。今のアンディの状態は、精神が衰弱している為でしょうから、聖呪文では治せないでしょう」
鸚鵡返しに聞いたケインには、ジェフが応えた。
「だけど、吟遊詩人なんて、どーしょーもねーだろ? あれ? 霊薬じゃ駄目か? 確か、霊薬に精神の疲れを取れんのがあるとか、きーた事あんだけど」
ケインは期待に満ちた瞳をエルフ達に向けた。
「アンディに精神に働き掛けるような霊薬を与えるのは、止めた方が良いと思いますわ。以前、アンディが青い煙に巻かれて、具合が悪くなった事がありますね。あの時、司祭様から聞いたのですが、体質によっては、精神に働き掛けるような霊薬が、身体に合わない者がいるそうですわ。多分、アンディもその一人でしょう」
「私もそう思います。今、私達に出来る事と言えば、ゆっくり寝かせてあげる事くらいです」
ソフィーが言うのに、ジェフも同意を示す。
「しょうがねぇな」
ジェフがケインに応えるのを聞いたウォーリィが、言葉は面倒だという感じだったが、何かの覚悟を決めたような厳しい表情で、大切そうにアンディの身体を担ぎ上げた。
「冒険者達の宿に、部屋取って寝かせよう」
「それが良いでしょう」
「一人部屋あたりに寝かせるのが良いだろうなぁ」
ビルが言う。こんな時は何も考えずに眠るしかない。
「俺らは、ギルガメッシュの酒場にいんからよ」
ケインが軽い口調で、ウォーリィの背に声を掛ける。ジェフとソフィーが大丈夫だと言った以上、自分か心配してもしょうがないと思っているようだった。
「判った」
ウォーリィは皆と別れ、アンディを担ぎ、冒険者達の宿の中に入って行った。
ギルガメッシュの酒場は、何時もの如く、喧騒に満ちていた。
「何で、アンディだったんだろうなぁ」
「俺もあのせきぞーに触ったってーのに」
ビルが席に付くなり呟いたのに、ケインが不思議そうな顔で自分の手を見ている。
「アンディは、霊等に取り付かれやすい体質なのかもしれません」
ジェフが応えた。彼にしては珍しく、ウォーリィ達と別れて真っ直ぐ、この酒場迄来ていた。ソフィーは相変わらず、カント寺院に行ってしまって此所にはいない。
「とっつかれやすい?」
「ええ。幽霊等の、いわゆる精神体と呼ばれるものには、取り付きやすいものと、取り付きにくいものがいるそうです。概して音では無く声を伝えるものの影響を受けやすい者は、取り付きやすい部類に入ると以前、兄が言っていました」
「確かにアンディもあれの影響は強く受けるよなぁ」
「ええ。君主である兄も、あの音では無く声を伝えるものを苦手としていますし、やはり幽霊に取り付かれた事があると言っていました。ただ、兄は君主としての修行をつんでからの事のようです」
「まあ、俺もあれは、君主特有のものだと思ってたけどな」
「だからかなー、フレイムさんて、アンディに君主になれとか言ってたっけか」
ケインは記憶を手繰るように、正面に焦点の合っていない視線を向けた。
「何時だ?」
「あー、俺達が、始めてフレイムさんに会った時」
フレイムに始めてあった時、フレイムから一番遠い所に座っていたのは、ケインだったのだが、事も無げに言った。
「そんな事もあったなぁ。……なぁ、ジェフ。あのアンディの疲れ、どのくらいで取れると思う?」
「十日は掛かるでしょう」
唐突に質問して来たビルに、不思議そうな顔でジェフは応えた。
「そっかぁ、なら取り敢えず、十日休もう。その後はアンディ次第だなぁ。ウォーリィは何か言うかもしれないが、アンディがあの調子じゃ、危なくて地下九階なんかは歩けないしなぁ」
「なー。ウォーリィの様子も、おかしかったと思わねーか?」
ケインが、目の前の杯を見詰めて唐突に言った。ウォーリィは何時も自信に溢れた晴れやかな顔をしていて、あのような厳しい顔を仲間達に見せた事はない。
「珍しく厳しい顔してたよなぁ」
ビルが冒険者達の宿の方へと視線を流す。尤も、ウォーリィやアンディの様子が見えるはずもない。
「何か考える事があったのかもしれません」
「何かって?」
ケインが不思議そうな顔で、ジェフを見た。
「アンディに関わる事だろうけどなぁ」
ビルは自分の杯に視線を戻した。
「ええ、多分そうでしょう。……本当を言えば、ワードナの迷宮の中と言うのは、アンディにはあまり向いていない所なのかもしれません」
「ああ。散々な目に会ってるよなぁ、アンディは」
「それ言ったら、ビルだって散々な目に会っただろー?」
ケインがからかうような調子で言う。
「思い出させるなよ、ケイン。これから酒を飲もうって時に」
目の前にある杯を、ビルは少し嫌そうな目で見る。
「近付かなければ良いんです。地図もありますし、ケインが瞬間移動の罠に掛からなければ、大丈夫です」
ジェフが労るような口調で言う。ビルにしてみれば、回転床という言葉すら、聞きたくないだろうと思って、わざと口にはしなかった。
「なら、大丈夫だろー」
「……何で、今、アンディは臥せってんだ?」
軽く応えたケインに、ビルは少し恨めしそうな顔を向けた。
「マーフィーのゆーれーに、取っ付かれたからだろ?」
「そうなった原因は、何だっけ?」
意地の悪い表情を浮かべたビルが、ケインを見据えた。
「……俺、が、罠の解除に失敗したから、かな?」
ケインはビルの視線から逃れようとするかように、視線を酒場の主人に向けていた。
「何か?」
主人が、ケインの視線に気付いて、寄ってきていたのだ。
「あ、何か珍しい酒で良いのねー?」
「丁度、飲み頃の物がありますよ」
少しだけ不敵な笑いを見せた主人が言い、地下にある酒蔵に入って行った。
「アンディが治るまで、迷宮に入らねーってんだから、俺は飲むぞー!」
不思議そうな顔をしたジェフに、ケインは力強く宣言した。
付合わされた形になった、ジェフとビルだったが、ウォーリィの別れ際の表情と、何時迄も顔を出さない事が気になって、あまり酔う事は出来なかった。
結局、ウォーリィは顔を見せず、ケインは潰れてしまったので、ビルとジェフとで、冒険者達の宿迄担いで行く事になった。
アンディはジェフの予想より、かなり早く回復した。三日程すると、起き上がって、その次の日には、ウォーリィを相手に、剣の稽古が出来るくらいまで治ったのだ。
少しおかしかった事と言えば、アンディが回復するのと入れ代わるように、ウォーリィの声が掠れていった事だろうか。ウォーリィは何でもないと笑っていたが、時々、アンディが酷く不思議そうな、何か問い掛けたそうな顔で、ウォーリィを見ていた。
ビル達はアンディの体調を確認した上で、マーフィーの話を聞いてから、丁度七日後に、迷宮探索を再開する事にした。
アンディ達は迷宮の入口に向かいながら、地下九階の話をしていた。
「地下九階。歩ける所は全て歩いたよな」
アンディがジェフを見る。
「ええ。あのマーフィーと会った所にも、階段等は見当たりませんでした」
「未だ見落としがある?」
ジェフが地図を見て言うのに、アンディが問い掛けた。
「絶対に無いとは言えませんが、もう無いのではないかと思いますわ」
遠慮勝ちに言ったのは、ソフィーだった。
「だが、下りの階段は見付かんねぇよな」
不安そうなソフィーに、揶揄するようなウォーリィの声が応える。
「階段だけでなく、階を下る手段が見付かりませんし、ワードナに会うわけでもありません」
ジェフは地図から顔をあげて応えた。
「ワードナは地下十階にいんだろー?」
「そう言われていますが、定かではありません」
ケインが不思議そうな顔をするのに、ジェフが穏やかな口調で応えた。
「目で見るだけで無く、隈無く歩いてみるのだな。階を下るのに、階段でなければならぬ理由はあるまい」
迷宮の入口の横に何時も座っている、屈強そうなドワーフが、いきなり口を挟んできた。
「隈無く?」
アンディが聞き返したが、それ以上話す気はないらしく、アンディが顔を向けた時には、俯いて目を閉じてしまっていた。
「目で見るだけでなく、とか言ってたよなー。落し穴でもあんのか?」
「落し穴が、下の階に続いてるってぇのか? 悪い冗談だぜ」
揶揄するようなケインの声に、忌ま忌ましそうなウォーリィの声が重なる。
「でも、これ以上出来る事は無いんだから、彼が言うように隈無く歩いてみるしかないだろう?」
「そうだなぁ。足で確かめてみるとしよう」
アンディが皆の顔を見回して言ったのに、ビルが応えるように頷き、皆は迷宮へと下って行った。
何時ものように、昇降機で地下九階迄下った一行は、左の扉を開けて、部屋の中に入り、念入りに部屋の中を見て回った。すると、右の奥の床の上に、人の足くらいの大きさの窪みがあったのだが、ウォーリィが気付かず、その窪みに乗ってしまった。その刹那、床が抜け、一行は其所に開いた穴に吸い込まれて行った。
「いてて。何だってぇんだ……」
「落し穴とは違ったみたいだけど……。此所は何処なんだろう。今迄とは、邪気の桁が違う」
ウォーリィが悪態をつきながら、通路を見回し、アンディは何となく不安そうな様子だ。
「あぁ、ジェフ。位置を確認してくれるか」
「……定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭! ……くっ」
ビルの声に一つ頷きを返して、呪文を唱えていたジェフは、いきなり呻いて、胸に手を当てた。
「どうした?」
「呪文が跳ね帰ってきました。呪文に対する結界が張ってあるようです」
不思議そうなビルに、少し苦しそうな顔でジェフが応えた。
「結界ですか? では、あの昇降機の『直通』と言うのは、結界の外までという意味だったのでしょうか」
ソフィーが不安そうな表情を見せていた。
「ワードナの迷宮。未だワードナに会った者もなし」
ソフィーの問い掛けに、呟くようなアンディの声が被さった。
「ふん。あの立て札の文句か? 俺達で覆してやろーって、探索してんだぜー」
ケインがアンディの肩を叩いた。アンディはそんなケインに微かに頷いて見せた。
穴から落ちた時の傷等を確認したが、別に怪我をした者もなかったので、歩き出そうとすると、目の前の何も無かった所に突然、金の額が現れた。その額には何かが描かれていた。良く見ると描かれていたのは文字で、その言葉は掘り込まれたように窪んでいて、色々な色に点滅していた。
『分かっておろうが、お前等は主なる魔術師ワードナの領地を侵している。お前等には儂の守りは破れないだろう。ましてや、儂と戦おうとは思わない事だ! それでも戦おうと思っているであろう、哀れなお前等にこんな手掛かりを教えてやろう。
"コントラ・デクストラ・アベニュー" 追伸-トレボー・スゥクス』
暫く点滅していた言葉は、現れた時と同様、突然消え失せた。
「手掛かりと言われていた部分は、どういう意味なんだ」
アンディがジェフの顔を見た。
「あれは古代語の一つです。妖呪文に使われているものとは違って、日常に使われていた方だと思います。意味は多分"右でない道"というような意味になるのでしょう」
「右でない道? 分岐点で、右に行ってはいけないという事かな?」
アンディが誰にとも無く問い掛ける。
「考えててもしょうがねぇだろ? 進もうぜ」
促しながらウォーリィが歩き出した。
「いざとなったら、ジェフかソフィーの呪文で何とかなるだろう?」
「多分ですけれど」
ビルの問い掛けには、ソフィーが少し緊張した顔で応える。聖呪文の中には、帰還と言う自分の所属している寺院迄、移動できる呪文があるが、呪文を使う時の制約がかなり厳しく、普通使う者はいない。
「此所でボケッとしてても、しょうがねぇぜ」
皆が付いて来ないので、ウォーリィが少し離れた所から、肩越しに声を掛けてきた。
「ああ。……そうだ。概略図しか描けないと思うが、一応、地図描いといてくれないか? ジェフ」
ウォーリィの促すような声に応えてから、ビルがジェフを振り向いて言う。地図を描いてどうなるものでもなかったが、持っていないよりは持っていた方が良い。帰る為の手掛かりになるかもしれないのだ。
「判りました」
「じゃ、行こうか」
ジェフの応えを聞いて、ビルが皆を促した。
一本道をひたすら歩くと、突き当たりに扉が一つ見付かった。ウォーリィが、少し間を置いてからその扉を蹴り開けると、其所には巨大な斧を持ち、角を生やした兜を被った巨人が、三体待ち構えていた。巨人の肌は、迷宮内で見るにしても異様な程青白い。
「行くぜ!」
ウォーリィが先陣を切って、中央にいる巨人に切り掛かった。アンディは左、ビルは右の巨人に向かう。
「我の力をもって、我等、風の気とならん。我等、風のごとく透き通り、この場にあらん。透明!」
祈願を唱えようとしたソフィーを制して、ジェフが呪文を唱える。普通、巨人達には呪文が効かないと言われている。それに、此所には呪文に対する結界が張ってある。下手に呪文を唱えると、先程のように呪文が跳ね返って来る可能性が高い。だからジェフは、自分達を防御するような呪文を、ソフィーに唱えさせるのでは無く、自分が唱えたのだ。今度は呪文が跳ね返る事も無く、効果を現した。栄唱で言う程、見え難くなる訳ではないが、発光苔の明りと、ソフィーが唱えた恒光の光しかない、薄暗い迷宮内では十分だった。
ウォーリィは力任せに剣を振るっている。何時も力だけで相手を捩じ伏せているのだ。尤も、力と言う点では、巨人に適う筈はない。それでも、多くの傷を負いながら、巨人を倒した。ウォーリィが巨人を倒すとほぼ同時に、ビルとアンディも、それぞれ相手にしていた巨人達を倒していた。ウォーリィと違って、ビルは楯を使うのが上手で、何時もうまく敵の攻撃を防ぐのであまり怪我はない。そして、アンディの戦い方は防御中心なので、敵を倒すのに時間は掛かるが、何時も一番傷が少ない。
「ソフィー。ウォーリィを頼む」
ビルが巨人を倒すと同時に、座り込んでしまったウォーリィを見て言った。尤もソフィーは、ビルに言われるまでもなく、ウォーリィに呪文を掛けていた。
「もう少し、相手の攻撃を躱す事を考えた方が、良いんじゃないか?」
アンディが呪文を掛けてもらっているウォーリィに言う。アンディは防御を重視した戦い方をするので、余計ウォーリィの力任せに、敵を捩じ伏せる戦い方には、危惧を抱いているのだろう。
「逃げ回んのは、俺の趣味じゃねぇ」
ウォーリィがソフィーに礼を言ってから、不機嫌そうな声で応えた。
「何も逃げ回れなんて、言ってないだろう? 楯を使う事を、もう少し考えても良いだろうにと、言っているんだ」
「あんな斧に、こんな楯なんか通用しねぇよ。それより、進もうぜ」
不満そうなアンディに、一応は答えを返し、ウォーリィは立ち上がった。
戦い終わってよく見ると、巨人達と戦った部屋は、大きめの正方形をした部屋だった。
「移動したよーだぜ」
ケインが後ろの壁を叩きながら言う。正方形の部屋の左奥の隅に、移動の仕掛があって、飛ばされたようだった。
「後戻りは出来ねぇって事か」
ケインの言葉を聞いたウォーリィが不敵に笑う。
「守衛の一団は退治しただろうが、まだまだおるぞ! 引き返せ、出来るうちに。死ぬ運命にある者よ!」
ウォーリィの声が聞こえたと同時に、何処からとも無く声が響いた。頭に直接響いたのでは無く、何処からか聞こえた声は、迷宮の壁に反響して、消えて行った。
「引き返せ、出来るうちに?」
「ワードナの声かなー。今の」
不思議そうなアンディの声に、ケインの問い掛けが被さった。
「かもなぁ」
「まだまだ居たって、全て俺が倒してやるぜ」
ビルの相槌に、ウォーリィの軽い笑い声が重なった。
ワードナらしき声を聞いてから、五つの部屋を通り抜けた。部屋と部屋は移動の仕掛と、枝別れのない通路で繋がっていた。そして部屋には必ず敵が待ち伏せをしていたが、ジェフとソフィーの呪文の援護もあって、アンディ達は何とか敵を打ち倒して、奥へと進んで行った。
六つ目の移動の仕掛に引っ掛かって飛ばされた所も、延々と伸びる一本道だった。その通路の突き当たりの右側に扉があり、扉の横の壁に標識が掲げてある。その標識には、こう書いてあった。
『"邪悪な魔術師ワードナの事務所"予約者のみ面会。今、ワードナは*在室中*』
「事務所」
「予約は無いけど」
ケインが呆気に取られたような声で言い、アンディが少し心配そうな様子で言った。
「ふん。予約なんか取れねぇだろ。この扉開けて入っちまえば、良いじゃねぇか」
ウォーリィがアンディの背中を叩く。
「最後の戦いですね」
「そうです」
ソフィーにジェフが静かな声で応えた。ジェフも少し緊張しているのか、何時もより声が堅い。
「ソフィーの言う通りだよなぁ。最後にしょう」
それまで黙っていたビルが言った。そしてアンディ、ウォーリィ、ケインの三人も、表情を引き締めて互いに頷いた。
ウォーリィが扉を蹴り開け、アンディ達は事務所に入った。其所には青白い肌をした女性が三人と男が二人いた。女性達の異様に赤い口唇からは、長い牙が二本伸びていた。そして、その女性達を従え、法衣を着た男に従うように立つ黒衣の男。黒衣の男は、高貴な雰囲気を漂わせていたが、同時に酷く残忍そうにも見えた。その黒衣の男の口元にも長い牙があった。バンパイア達とバンパイアロードだろう。そして、その法衣を着た男こそ、噂に高いこの迷宮の主、邪悪なる魔術師ワードナだった。
「ワードナ覚悟しろ! 大君主トレボーの命により、神秘の護符を返してもらうぞ!」
ビルの声を合図に、戦士達はそれぞれワードナに切り掛かって行き、ジェフは核撃を、ソフィーは解呪を唱えるべく栄唱を始めた。
「速やかな風よ……」
「汚れし邪なる世に棲まう、彷徨える魂よ、その故き里たる冥き世へ、今直ぐ立ち去るが良い。我が神の御名において!」
ソフィーの気合いの籠った、綺麗な声が響くと同時に、バンパイアロードは、かき消されるように消滅した。
ワードナは、バンパイアロードを消された事に怒って核撃を唱えてきたが、アンディ達はそれぞれうまく避けた。尤も、ケインはほぼ直撃を受け、蹲ったまま動かなくなってしまった。核撃の栄唱を唱えていたジェフが、無防備にワードナの呪文に晒されそうになっていたので、庇った所為だった。そしてソフィーが唱えていた栄唱は途切れ、別の呪文を唱え始めた。ケインの状態が心配なのだろう、ソフィーが新たに唱え始めたのは、完治の呪文だった。
しかし、アンディは髪の先が焦げている程度だし、ビルはどうも右手に火傷を負ったようで顔をしかめているが、剣を握れない程ではないらしい。ウォーリィは、焼け焦げた楯を腕から外していた。そして、呪文を避ける為に間合いが崩れた戦士達は、体勢を立て直し、右からはアンディが、左からはビルが、そして正面からウォーリィが、ワードナに切り掛かって行った。何の打ち合わせもしていないが、戦士達の攻撃は、それぞれがそれぞれの目くらましになるような見事なものだった。しかしワードナは見掛けより素早く、戦士達の攻撃は全て躱されてしまった。けれども、ワードナの法衣には穴が開き、血が滲んでいる。薄い法衣しか身に付けていない為に、今の戦士達の実力なら、剣圧だけでも傷を負わせる事ができるのだ。ジェフはケインが倒れたのを目の端に捕らえていたが、核撃の栄唱を一心に唱え続けている。ジェフが核撃を使えるようになったのは、つい最近の事だ。唱え慣れていないので、栄唱を唱えるのに慣れているワードナよりも、どうしても時間が掛かってしまう。
「……その真なる力を、今こそ我に示せ。核撃!」
戦士達がワードナに攻撃を掛けている間に、やっと栄唱が終わり、ジェフの気合いの籠った声が響く。ワードナはジェフの掛けた核撃の直撃を受け、倒れ絶命したようだった。バンパイア達は、長たるバンパイアロードが倒されたにも関わらず、それぞれ戦士達の首筋に何とか噛み付こうとしていたのだが、ジェフの呪文に吹き飛ばされ、身体も残さず崩れ去った。
「これで使命は達成されたな」
「ああ。早く大君主の元へ持って帰ろう」
ワードナを倒した喜びを隠せずに、アンディとビルが護符の置いてある箱を見ながら話している。ケインはソフィーに傷を治して貰って、やっとワードナを倒した事を実感したようだった。ウォーリィは、珍しく疲れを表に出して、手の中にある自分の剣を見ていた。
「ワードナが、今何か言いませんでしたか?」
厳しい表情で黙り込んでいたジェフが、突然皆に、警告とも思える口調で話し掛けた。
「そうですか? 私には何も聞こえませんでしたが」
「俺にも、なーんも聞こえなかったぜー」
ソフィーが言い、ケインも不思議そうな顔をしている。
「そうですか。……私の気の所為かも知れません」
ジェフは少し考えるように顔を伏せていたが、結局は納得したようだった。ジェフ達が話している間に、ビルは側に置いてあった、真銀の手袋を身に付け、慎重に護符を箱から出していた。
「これが神秘の護符かぁ。凄い力だな」
ビルは自分の手の内にある神秘の護符に見入っていた。
「マーフィーが、人が持ってて良い物じゃねーとか言ったのが判るよなー」
「そ、だな」
驚愕の瞳を向けているケインに、少し苦しそうな声で、ウォーリィが応えた。ウォーリィは、神秘の護符の力に人一倍反応しているようだ。一番影響を受けていないのは、意外にもアンディのようだった。
「さて、どうやって帰るかだな。無駄かもしれんが、現在位置の確認をしてみてくれないか? ジェフ」
「ええ……定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭! ……。判りました。ワードナが死亡した為に、結界が解かれたようです」
ビルに応えて呪文を唱えたジェフは、少し驚いたような顔で言う。
「呪文で帰れるか?」
皆を見回しながらビルが問い掛けた。皆、ワードナが放った核撃の影響で、何時ものような覇気がない。あのウォーリィでさえ、疲れを表に出しているのだ。
「現在位置が判れば、幻姿の呪文が使えます。城への階段の所へ移動するので良いですか?」
ジェフが応え、一応確認を取る。
「ああ。そうしてくれ」
「我、この広い迷いの宮を、風のごとく移り動きたし。我、ここから西に十七、南に三、上へ九だけ動きたし。今こそ我等移り動かん。幻姿!」
ジェフの気合いの入った声が聞こえると、アンディ達全員は身体が浮き上がるような感じを受け、気が付くと階段の前に立っていた。
「じゃあ、凱旋だ!」
ビルが宣言するように言い、階段を上った。
迷宮の入口には、何時も入口の横に座っている、屈強そうなドワーフが立っていた。
「おめでとう。ついにワードナから神秘の護符を取り返したな。付いて来なされ。大君主トレボーに謁見を申し込もう」
屈強そうなドワーフは、足速に城に向かって歩き出した。その背を見ながらアンディとウォーリィ、ケインは顔を見合わせて苦笑をもらす。
「やり遂げた者に、トレボー王への謁見を申し込む役だったなんてな」
ドワーフに聞こえないようにアンディが囁いた。
アンディ達は屈強そうなドワーフの先導で、城の謁見の間に案内された。大君主トレボーは謁見の間の奥にある、王座に座っていた。地下四階にあった君主の像よりも年を取ったような感じがある。それ程長い間、あの迷宮はワードナに支配されていたと言う事だろう。
「よくぞ神秘の護符を持ち帰ってくれた。礼を言う。褒美としてそれぞれに、五万金貨を与える」
トレボー王の座っている王座の横には、赤い布の被せられた台があり、其処には神秘の護符と真銀の手袋が置かれている。
「更に諸君を近衛兵の将校に任命しよう。誇りを持って階級証、袖章を付けるように」
トレボー王がそう言うと、控えていた脇侍が寄って来て、それぞれの前に金貨の入った袋と、袖章を置いて行った。その袖章は、普通、近衛兵が付けている物とは違った。ワードナを倒した事、神秘の護符を取り戻した事を皆に知らせる為だろう。そしてそれを見届けたトレボー王は話を続けた。
「あの迷宮は、改造してワードナの墓地とする事にした。そこで、諸君にも警備に加わってもらいたい。尤も、これは強制では無く、要望である。これから更なる鍛練を続けるもの良し。警備に加わるも良し。諸君の望むままだ。警備には、他の冒険者にも加わってもらう事になっておる。よく考えて答えを出して欲しいものだ」
トレボー王は不思議な笑みを見せ、アンディ達に退出を命じた。
トレボー王から褒美として金貨を貰った事もあり、傷の手当てをしてから、ソフィーやジェフを含めた六人は、ギルガメッシュの酒場でこれからの事を話し合っていた。
「で、皆。これからどうするつもりなんだ? トレボー王の言う通り、ワードナの地下墓地の警備をするのか」
ビルが皆の顔を見回した。ビルは、右の手首に白い布を巻いている。布には緑色の霊薬が滲んでいた。
「いや。……俺、職業変更しようと思ってんだ」
「俺も君主に職業変更しようかと思う」
ウォーリィとアンディが言う。ウォーリィは左腕に、アンディは首に白い布を当てている。勿論、呪文で傷を治す事もできるのだが、戦士達三人は、揃って呪文で傷を治さない事にした。呪文で治すと、感じられない疲労が酷くなる。冒険中は疲労よりも、傷で動けない事の方が不利なので、呪文で治していたが、今は、もうそんな無理をしなくても良い。
「私は家に帰ります」
「私は高司祭様の勧めで、司祭になる修行をする事になりました」
ビルに視線を向けられたジェフとソフィーが応えた。
「ケインは?」
アンディが訊く。
「俺? 俺はする事もねーし、警備に参加しよーとか思ってる。そーゆービルはどーすんだ?」
「そうだなぁ。俺も警備に参加するか」
「お別れか」
皆の答えが出たのを聞いて、アンディが少し寂しそうに言う。
「なーに、何時でも会えるさ。生きてさえいりゃーな」
「ケインの言う通りだ。何時でも会えるさ」
ケインとビルが言う。
「ええ」
「今日は飲もうぜ」
ウォーリィが皆の杯に酒を注いで回った。
「じゃあ、神秘の護符を取り戻した事を祝って、乾杯!」
アンディ達は、それから陽気に騒ぎながら、明け方近く迄飲み明かした。ギルガメッシュの酒場も、今日は店を閉めようとはせず、他の客も今迄とは何処か違う、陽気な表情をしていた。
「何時かまた会おうぜ!」
翌朝、酒場を出る時、ウォーリィが皆に笑い掛けた。
一つの冒険が終わった。ワードナから護符を取り戻した、六人の冒険者達は、それぞれの目的を持って、それぞれ別の道を歩き出した。