マーフィーと会った場所から、町に戻るのには、そう苦労はしなかった。直ぐに、地図(マップ)のある場所に出られたからだ。瞬間移動(テレポーター)(トラップ)に掛かる迄見付けられ無かったのは、途中に一方通行の扉(ワン・ウェイ・ドア)があったからだった。

しかし、町に戻って恒光(ロミルワ)の呪文で出来た光の球が、陽の光に溶けて行くのと同時に、アンディはまるで、陽の光に糸を切られた木偶のように、音も無く倒れ込んだ。陽の光の下で見ると、顔色は青褪めるを通り越して、白臘のように白くなっていた。身体に触れると、こちらの体温を吸収してしまうくらい、冷えきっていて、意識は完全に無い。

「おい、アンディ!」

「マーフィーとの接触が、かなりの負担になっていたようです。ゆっくり休めば、大丈夫でしょう」

慌てたような声を出したウォーリィに、アンディの右腕を取っていたジェフが、安心させるような調子で言う。

「呪文を掛けたが、いーんじゃねーの?」

ケインがソフィーの顔を見ながら聞いた。

「聖呪文では治らないでしょう。どちらかと言えば、吟遊詩人(ミンストラル)に頼んだ方が良いと思いますわ」

ソフィーが言う。聖呪文は精神に効く呪文は殆ど無い。例外的に完治(マディ)の呪文があるが、肉体なら完全に治す事が出来る完治(マディ)の呪文も、こと精神面となると、恐慌(アフレイド)状態の者や催眠(アスリープ)状態の者を元に戻す事が出来る程度なのだ。

吟遊詩人(ミンストラル)?」

吟遊詩人(ミンストラル)の使う呪歌(リート)の中に、精神を安定させる歌があったと思います。今のアンディの状態は、精神が衰弱している為でしょうから、聖呪文では治せないでしょう」

鸚鵡返しに聞いたケインには、ジェフが応えた。

「だけど、吟遊詩人(ミンストラル)なんて、どーしょーもねーだろ? あれ? 霊薬(エリクサ)じゃ駄目か? 確か、霊薬(エリクサ)に精神の疲れを取れんのがあるとか、きーた事あんだけど」

ケインは期待に満ちた瞳をエルフ達に向けた。

「アンディに精神に働き掛けるような霊薬(エリクサ)を与えるのは、止めた方が良いと思いますわ。以前、アンディが青い煙に巻かれて、具合が悪くなった事がありますね。あの時、司祭様から聞いたのですが、体質によっては、精神に働き掛けるような霊薬(エリクサ)が、身体に合わない者がいるそうですわ。多分、アンディもその一人でしょう」

「私もそう思います。今、私達に出来る事と言えば、ゆっくり寝かせてあげる事くらいです」

ソフィーが言うのに、ジェフも同意を示す。

「しょうがねぇな」

ジェフがケインに応えるのを聞いたウォーリィが、言葉は面倒だという感じだったが、何かの覚悟を決めたような厳しい表情で、大切そうにアンディの身体を担ぎ上げた。

「冒険者達の宿に、部屋取って寝かせよう」

「それが良いでしょう」

「一人部屋あたりに寝かせるのが良いだろうなぁ」

ビルが言う。こんな時は何も考えずに眠るしかない。

「俺らは、ギルガメッシュの酒場にいんからよ」

ケインが軽い口調で、ウォーリィの背に声を掛ける。ジェフとソフィーが大丈夫だと言った以上、自分か心配してもしょうがないと思っているようだった。

「判った」

ウォーリィは皆と別れ、アンディを担ぎ、冒険者達の宿の中に入って行った。


ギルガメッシュの酒場は、何時もの如く、喧騒に満ちていた。

「何で、アンディだったんだろうなぁ」

「俺もあのせきぞーに触ったってーのに」

ビルが席に付くなり呟いたのに、ケインが不思議そうな顔で自分の手を見ている。

「アンディは、霊等に取り付かれやすい体質なのかもしれません」

ジェフが応えた。彼にしては珍しく、ウォーリィ達と別れて真っ直ぐ、この酒場迄来ていた。ソフィーは相変わらず、カント寺院に行ってしまって此所にはいない。

「とっつかれやすい?」

「ええ。幽霊(ゴースト)等の、いわゆる精神体と呼ばれるものには、取り付きやすいものと、取り付きにくいものがいるそうです。概して音では無く声を伝えるものの影響を受けやすい者は、取り付きやすい部類に入ると以前、兄が言っていました」

「確かにアンディもあれの影響は強く受けるよなぁ」

「ええ。君主(ロード)である兄も、あの音では無く声を伝えるものを苦手としていますし、やはり幽霊(ゴースト)に取り付かれた事があると言っていました。ただ、兄は君主(ロード)としての修行をつんでからの事のようです」

「まあ、俺もあれは、君主(ロード)特有のものだと思ってたけどな」

「だからかなー、フレイムさんて、アンディに君主(ロード)になれとか言ってたっけか」

ケインは記憶を手繰るように、正面に焦点の合っていない視線を向けた。

「何時だ?」

「あー、俺達が、始めてフレイムさんに会った時」

フレイムに始めてあった時、フレイムから一番遠い所に座っていたのは、ケインだったのだが、事も無げに言った。

「そんな事もあったなぁ。……なぁ、ジェフ。あのアンディの疲れ、どのくらいで取れると思う?」

「十日は掛かるでしょう」

唐突に質問して来たビルに、不思議そうな顔でジェフは応えた。

「そっかぁ、なら取り敢えず、十日休もう。その後はアンディ次第だなぁ。ウォーリィは何か言うかもしれないが、アンディがあの調子じゃ、危なくて地下九階なんかは歩けないしなぁ」

「なー。ウォーリィの様子も、おかしかったと思わねーか?」

ケインが、目の前の杯を見詰めて唐突に言った。ウォーリィは何時も自信に溢れた晴れやかな顔をしていて、あのような厳しい顔を仲間達に見せた事はない。

「珍しく厳しい顔してたよなぁ」

ビルが冒険者達の宿の方へと視線を流す。尤も、ウォーリィやアンディの様子が見えるはずもない。

「何か考える事があったのかもしれません」

「何かって?」

ケインが不思議そうな顔で、ジェフを見た。

「アンディに関わる事だろうけどなぁ」

ビルは自分の杯に視線を戻した。

「ええ、多分そうでしょう。……本当を言えば、ワードナの迷宮の中と言うのは、アンディにはあまり向いていない所なのかもしれません」

「ああ。散々な目に会ってるよなぁ、アンディは」

「それ言ったら、ビルだって散々な目に会っただろー?」

ケインがからかうような調子で言う。

「思い出させるなよ、ケイン。これから酒を飲もうって時に」

目の前にある杯を、ビルは少し嫌そうな目で見る。

「近付かなければ良いんです。地図(マップ)もありますし、ケインが瞬間移動(テレポーター)(トラップ)に掛からなければ、大丈夫です」

ジェフが労るような口調で言う。ビルにしてみれば、回転床(ターン・フロア)という言葉すら、聞きたくないだろうと思って、わざと口にはしなかった。

「なら、大丈夫だろー」

「……何で、今、アンディは臥せってんだ?」

軽く応えたケインに、ビルは少し恨めしそうな顔を向けた。

「マーフィーのゆーれーに、取っ付かれたからだろ?」

「そうなった原因は、何だっけ?」

意地の悪い表情を浮かべたビルが、ケインを見据えた。

「……俺、が、(トラップ)の解除に失敗したから、かな?」

ケインはビルの視線から逃れようとするかように、視線を酒場の主人に向けていた。

「何か?」

主人が、ケインの視線に気付いて、寄ってきていたのだ。

「あ、何か珍しい酒で良いのねー?」

「丁度、飲み頃の物がありますよ」

少しだけ不敵な笑いを見せた主人が言い、地下にある酒蔵に入って行った。

「アンディが治るまで、迷宮に入らねーってんだから、俺は飲むぞー!」

不思議そうな顔をしたジェフに、ケインは力強く宣言した。

付合わされた形になった、ジェフとビルだったが、ウォーリィの別れ際の表情と、何時迄も顔を出さない事が気になって、あまり酔う事は出来なかった。

結局、ウォーリィは顔を見せず、ケインは潰れてしまったので、ビルとジェフとで、冒険者達の宿迄担いで行く事になった。

アンディはジェフの予想より、かなり早く回復した。三日程すると、起き上がって、その次の日には、ウォーリィを相手に、剣の稽古が出来るくらいまで治ったのだ。

少しおかしかった事と言えば、アンディが回復するのと入れ代わるように、ウォーリィの声が掠れていった事だろうか。ウォーリィは何でもないと笑っていたが、時々、アンディが酷く不思議そうな、何か問い掛けたそうな顔で、ウォーリィを見ていた。

ビル達はアンディの体調を確認した上で、マーフィーの話を聞いてから、丁度七日後に、迷宮探索を再開する事にした。

アンディ達は迷宮の入口に向かいながら、地下九階の話をしていた。

「地下九階。歩ける所は全て歩いたよな」

アンディがジェフを見る。

「ええ。あのマーフィーと会った所にも、階段等は見当たりませんでした」

「未だ見落としがある?」

ジェフが地図(マップ)を見て言うのに、アンディが問い掛けた。

「絶対に無いとは言えませんが、もう無いのではないかと思いますわ」

遠慮勝ちに言ったのは、ソフィーだった。

「だが、下りの階段は見付かんねぇよな」

不安そうなソフィーに、揶揄するようなウォーリィの声が応える。

「階段だけでなく、階を下る手段が見付かりませんし、ワードナに会うわけでもありません」

ジェフは地図(マップ)から顔をあげて応えた。

「ワードナは地下十階にいんだろー?」

「そう言われていますが、定かではありません」

ケインが不思議そうな顔をするのに、ジェフが穏やかな口調で応えた。

「目で見るだけで無く、隈無く歩いてみるのだな。階を下るのに、階段でなければならぬ理由はあるまい」

迷宮の入口の横に何時も座っている、屈強そうなドワーフが、いきなり口を挟んできた。

「隈無く?」

アンディが聞き返したが、それ以上話す気はないらしく、アンディが顔を向けた時には、俯いて目を閉じてしまっていた。

「目で見るだけでなく、とか言ってたよなー。落し穴(ピット)でもあんのか?」

落し穴(ピット)が、下の階に続いてるってぇのか? 悪い冗談だぜ」

揶揄するようなケインの声に、忌ま忌ましそうなウォーリィの声が重なる。

「でも、これ以上出来る事は無いんだから、彼が言うように隈無く歩いてみるしかないだろう?」

「そうだなぁ。足で確かめてみるとしよう」

アンディが皆の顔を見回して言ったのに、ビルが応えるように頷き、皆は迷宮へと下って行った。


何時ものように、昇降機(エレベーター)で地下九階迄下った一行は、左の扉を開けて、部屋の中に入り、念入りに部屋の中を見て回った。すると、右の奥の床の上に、人の足くらいの大きさの窪みがあったのだが、ウォーリィが気付かず、その窪みに乗ってしまった。その刹那、床が抜け、一行は其所に開いた穴に吸い込まれて行った。

「いてて。何だってぇんだ……」

落し穴(ピット)とは違ったみたいだけど……。此所は何処なんだろう。今迄とは、邪気の桁が違う」

ウォーリィが悪態をつきながら、通路を見回し、アンディは何となく不安そうな様子だ。

「あぁ、ジェフ。位置を確認してくれるか」

「……定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭(デュマピック) ……くっ」

ビルの声に一つ頷きを返して、呪文を唱えていたジェフは、いきなり呻いて、胸に手を当てた。

「どうした?」

「呪文が跳ね帰ってきました。呪文に対する結界が張ってあるようです」

不思議そうなビルに、少し苦しそうな顔でジェフが応えた。

「結界ですか? では、あの昇降機(エレベーター)の『直通』と言うのは、結界の外までという意味だったのでしょうか」

ソフィーが不安そうな表情を見せていた。

「ワードナの迷宮。未だワードナに会った者もなし」

ソフィーの問い掛けに、呟くようなアンディの声が被さった。

「ふん。あの立て札の文句か? 俺達で覆してやろーって、探索してんだぜー」

ケインがアンディの肩を叩いた。アンディはそんなケインに微かに頷いて見せた。


穴から落ちた時の傷等を確認したが、別に怪我をした者もなかったので、歩き出そうとすると、目の前の何も無かった所に突然、金の額が現れた。その額には何かが描かれていた。良く見ると描かれていたのは文字で、その言葉は掘り込まれたように窪んでいて、色々な色に点滅していた。

『分かっておろうが、お前等は主なる魔術師(メイジ)ワードナの領地を侵している。お前等には儂の守りは破れないだろう。ましてや、儂と戦おうとは思わない事だ! それでも戦おうと思っているであろう、哀れなお前等にこんな手掛かりを教えてやろう。
"コントラ・デクストラ・アベニュー" 追伸-トレボー・スゥクス』

暫く点滅していた言葉は、現れた時と同様、突然消え失せた。

「手掛かりと言われていた部分は、どういう意味なんだ」

アンディがジェフの顔を見た。

「あれは古代語の一つです。妖呪文に使われているものとは違って、日常に使われていた方だと思います。意味は多分"右でない道"というような意味になるのでしょう」

「右でない道? 分岐点で、右に行ってはいけないという事かな?」

アンディが誰にとも無く問い掛ける。

「考えててもしょうがねぇだろ? 進もうぜ」

促しながらウォーリィが歩き出した。

「いざとなったら、ジェフかソフィーの呪文で何とかなるだろう?」

「多分ですけれど」

ビルの問い掛けには、ソフィーが少し緊張した顔で応える。聖呪文の中には、帰還(ロクトフェイト)と言う自分の所属している寺院迄、移動できる呪文があるが、呪文を使う時の制約がかなり厳しく、普通使う者はいない。

「此所でボケッとしてても、しょうがねぇぜ」

皆が付いて来ないので、ウォーリィが少し離れた所から、肩越しに声を掛けてきた。

「ああ。……そうだ。概略図しか描けないと思うが、一応、地図描い(マッピングし)といてくれないか? ジェフ」

ウォーリィの促すような声に応えてから、ビルがジェフを振り向いて言う。地図(マップ)を描いてどうなるものでもなかったが、持っていないよりは持っていた方が良い。帰る為の手掛かりになるかもしれないのだ。

「判りました」

「じゃ、行こうか」

ジェフの応えを聞いて、ビルが皆を促した。


一本道をひたすら歩くと、突き当たりに扉が一つ見付かった。ウォーリィが、少し間を置いてからその扉を蹴り開けると、其所には巨大な斧を持ち、角を生やした兜を被った巨人(ジャイアント)が、三体待ち構えていた。巨人(ジャイアント)の肌は、迷宮内で見るにしても異様な程青白い。

「行くぜ!」

ウォーリィが先陣を切って、中央にいる巨人(ジャイアント)に切り掛かった。アンディは左、ビルは右の巨人(ジャイアント)に向かう。

我の力をもって、我等、風の気とならん。我等、風のごとく透き通り、この場にあらん。透明(マソピック)

祈願(バマツ)を唱えようとしたソフィーを制して、ジェフが呪文を唱える。普通、巨人(ジャイアント)達には呪文が効かないと言われている。それに、此所には呪文に対する結界が張ってある。下手に呪文を唱えると、先程のように呪文が跳ね返って来る可能性が高い。だからジェフは、自分達を防御するような呪文を、ソフィーに唱えさせるのでは無く、自分が唱えたのだ。今度は呪文が跳ね返る事も無く、効果を現した。栄唱で言う程、見え難くなる訳ではないが、発光苔の明りと、ソフィーが唱えた恒光(ロミルワ)の光しかない、薄暗い迷宮内では十分だった。

ウォーリィは力任せに剣を振るっている。何時も力だけで相手を捩じ伏せているのだ。尤も、力と言う点では、巨人(ジャイアント)に適う筈はない。それでも、多くの傷を負いながら、巨人(ジャイアント)を倒した。ウォーリィが巨人(ジャイアント)を倒すとほぼ同時に、ビルとアンディも、それぞれ相手にしていた巨人(ジャイアント)達を倒していた。ウォーリィと違って、ビルは楯を使うのが上手で、何時もうまく敵の攻撃を防ぐのであまり怪我はない。そして、アンディの戦い方は防御中心なので、敵を倒すのに時間は掛かるが、何時も一番傷が少ない。

「ソフィー。ウォーリィを頼む」

ビルが巨人(ジャイアント)を倒すと同時に、座り込んでしまったウォーリィを見て言った。尤もソフィーは、ビルに言われるまでもなく、ウォーリィに呪文を掛けていた。

「もう少し、相手の攻撃を躱す事を考えた方が、良いんじゃないか?」

アンディが呪文を掛けてもらっているウォーリィに言う。アンディは防御を重視した戦い方をするので、余計ウォーリィの力任せに、敵を捩じ伏せる戦い方には、危惧を抱いているのだろう。

「逃げ回んのは、俺の趣味じゃねぇ」

ウォーリィがソフィーに礼を言ってから、不機嫌そうな声で応えた。

「何も逃げ回れなんて、言ってないだろう? 楯を使う事を、もう少し考えても良いだろうにと、言っているんだ」

「あんな斧に、こんな楯なんか通用しねぇよ。それより、進もうぜ」

不満そうなアンディに、一応は答えを返し、ウォーリィは立ち上がった。

戦い終わってよく見ると、巨人(ジャイアント)達と戦った部屋は、大きめの正方形をした部屋だった。

移動(ワープ)したよーだぜ」

ケインが後ろの壁を叩きながら言う。正方形の部屋の左奥の隅に、移動(ワープ)仕掛(トラップ)があって、飛ばされたようだった。

「後戻りは出来ねぇって事か」

ケインの言葉を聞いたウォーリィが不敵に笑う。

「守衛の一団は退治しただろうが、まだまだおるぞ! 引き返せ、出来るうちに。死ぬ運命にある者よ!」

ウォーリィの声が聞こえたと同時に、何処からとも無く声が響いた。頭に直接響いたのでは無く、何処からか聞こえた声は、迷宮の壁に反響して、消えて行った。

「引き返せ、出来るうちに?」

「ワードナの声かなー。今の」

不思議そうなアンディの声に、ケインの問い掛けが被さった。

「かもなぁ」

「まだまだ居たって、全て俺が倒してやるぜ」

ビルの相槌に、ウォーリィの軽い笑い声が重なった。

ワードナらしき声を聞いてから、五つの部屋を通り抜けた。部屋と部屋は移動(ワープ)仕掛(トラップ)と、枝別れのない通路で繋がっていた。そして部屋には必ず敵が待ち伏せをしていたが、ジェフとソフィーの呪文の援護もあって、アンディ達は何とか敵を打ち倒して、奥へと進んで行った。

六つ目の移動(ワープ)仕掛(トラップ)に引っ掛かって飛ばされた所も、延々と伸びる一本道だった。その通路の突き当たりの右側に扉があり、扉の横の壁に標識が掲げてある。その標識には、こう書いてあった。
『"邪悪な魔術師(メイジ)ワードナの事務所"予約者のみ面会。今、ワードナは*在室中*

「事務所」

「予約は無いけど」

ケインが呆気に取られたような声で言い、アンディが少し心配そうな様子で言った。

「ふん。予約なんか取れねぇだろ。この扉開けて入っちまえば、良いじゃねぇか」

ウォーリィがアンディの背中を叩く。

「最後の戦いですね」

「そうです」

ソフィーにジェフが静かな声で応えた。ジェフも少し緊張しているのか、何時もより声が堅い。

「ソフィーの言う通りだよなぁ。最後にしょう」

それまで黙っていたビルが言った。そしてアンディ、ウォーリィ、ケインの三人も、表情を引き締めて互いに頷いた。


ウォーリィが扉を蹴り開け、アンディ達は事務所に入った。其所には青白い肌をした女性が三人と男が二人いた。女性達の異様に赤い口唇からは、長い牙が二本伸びていた。そして、その女性達を従え、法衣を着た男(マン・イン・ローブ)に従うように立つ黒衣の男。黒衣の男は、高貴な雰囲気を漂わせていたが、同時に酷く残忍そうにも見えた。その黒衣の男の口元にも長い牙があった。バンパイア達とバンパイアロードだろう。そして、その法衣を着た男(マン・イン・ローブ)こそ、噂に高いこの迷宮の主、邪悪なる魔術師(メイジ)ワードナだった。

「ワードナ覚悟しろ! 大君主(オーバー・ロード)トレボーの命により、神秘の護符(アミュレット)を返してもらうぞ!」

ビルの声を合図に、戦士(ファイター)達はそれぞれワードナに切り掛かって行き、ジェフは核撃(ティルトウェイト)を、ソフィーは解呪(ディスペル)を唱えるべく栄唱を始めた。

速やかな風よ……

汚れし邪なる世に棲まう、彷徨える魂よ、その(ふる)き里たる(くら)き世へ、今直ぐ立ち去るが良い。我が神(カドルト)の御名において!

ソフィーの気合いの籠った、綺麗な声が響くと同時に、バンパイアロードは、かき消されるように消滅した。

ワードナは、バンパイアロードを消された事に怒って核撃(ティルトウェイト)を唱えてきたが、アンディ達はそれぞれうまく避けた。尤も、ケインはほぼ直撃を受け、蹲ったまま動かなくなってしまった。核撃(ティルトウェイト)の栄唱を唱えていたジェフが、無防備にワードナの呪文に晒されそうになっていたので、庇った所為だった。そしてソフィーが唱えていた栄唱は途切れ、別の呪文を唱え始めた。ケインの状態が心配なのだろう、ソフィーが新たに唱え始めたのは、完治(マディ)の呪文だった。

しかし、アンディは髪の先が焦げている程度だし、ビルはどうも右手に火傷を負ったようで顔をしかめているが、剣を握れない程ではないらしい。ウォーリィは、焼け焦げた楯を腕から外していた。そして、呪文を避ける為に間合いが崩れた戦士(ファイター)達は、体勢を立て直し、右からはアンディが、左からはビルが、そして正面からウォーリィが、ワードナに切り掛かって行った。何の打ち合わせもしていないが、戦士(ファイター)達の攻撃は、それぞれがそれぞれの目くらましになるような見事なものだった。しかしワードナは見掛けより素早く、戦士(ファイター)達の攻撃は全て躱されてしまった。けれども、ワードナの法衣(ローブ)には穴が開き、血が滲んでいる。薄い法衣(ローブ)しか身に付けていない為に、今の戦士(ファイター)達の実力なら、剣圧だけでも傷を負わせる事ができるのだ。ジェフはケインが倒れたのを目の端に捕らえていたが、核撃(ティルトウェイト)の栄唱を一心に唱え続けている。ジェフが核撃(ティルトウェイト)を使えるようになったのは、つい最近の事だ。唱え慣れていないので、栄唱を唱えるのに慣れているワードナよりも、どうしても時間が掛かってしまう。

……その真なる力を、今こそ我に示せ。核撃(ティルトウェイト)

戦士(ファイター)達がワードナに攻撃を掛けている間に、やっと栄唱が終わり、ジェフの気合いの籠った声が響く。ワードナはジェフの掛けた核撃(ティルトウェイト)の直撃を受け、倒れ絶命したようだった。バンパイア達は、長たるバンパイアロードが倒されたにも関わらず、それぞれ戦士(ファイター)達の首筋に何とか噛み付こうとしていたのだが、ジェフの呪文(ティルトウェイト)に吹き飛ばされ、身体も残さず崩れ去った。

「これで使命は達成されたな」

「ああ。早く大君主(オーバー・ロード)の元へ持って帰ろう」

ワードナを倒した喜びを隠せずに、アンディとビルが護符の置いてある箱を見ながら話している。ケインはソフィーに傷を治して貰って、やっとワードナを倒した事を実感したようだった。ウォーリィは、珍しく疲れを表に出して、手の中にある自分の剣を見ていた。

「ワードナが、今何か言いませんでしたか?」

厳しい表情で黙り込んでいたジェフが、突然皆に、警告とも思える口調で話し掛けた。

「そうですか? 私には何も聞こえませんでしたが」

「俺にも、なーんも聞こえなかったぜー」

ソフィーが言い、ケインも不思議そうな顔をしている。

「そうですか。……私の気の所為かも知れません」

ジェフは少し考えるように顔を伏せていたが、結局は納得したようだった。ジェフ達が話している間に、ビルは側に置いてあった、真銀の手袋(ミスリル・グラブ)を身に付け、慎重に護符を箱から出していた。

「これが神秘の護符(アミュレット)かぁ。凄い力だな」

ビルは自分の手の内にある神秘の護符(アミュレット)に見入っていた。

「マーフィーが、人が持ってて良い物じゃねーとか言ったのが判るよなー」

「そ、だな」

驚愕の瞳を向けているケインに、少し苦しそうな声で、ウォーリィが応えた。ウォーリィは、神秘の護符(アミュレット)の力に人一倍反応しているようだ。一番影響を受けていないのは、意外にもアンディのようだった。

「さて、どうやって帰るかだな。無駄かもしれんが、現在位置の確認をしてみてくれないか? ジェフ」

「ええ……定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭(デュマピック) ……。判りました。ワードナが死亡(デッド)した為に、結界が解かれたようです」

ビルに応えて呪文を唱えたジェフは、少し驚いたような顔で言う。

「呪文で帰れるか?」

皆を見回しながらビルが問い掛けた。皆、ワードナが放った核撃(ティルトウェイト)の影響で、何時ものような覇気がない。あのウォーリィでさえ、疲れを表に出しているのだ。

「現在位置が判れば、幻姿(マロール)の呪文が使えます。城への階段の所へ移動するので良いですか?」

ジェフが応え、一応確認を取る。

「ああ。そうしてくれ」

我、この広い迷いの宮を、風のごとく移り動きたし。我、ここから西に十七、南に三、上へ九だけ動きたし。今こそ我等移り動かん。幻姿(マロール)

ジェフの気合いの入った声が聞こえると、アンディ達全員は身体が浮き上がるような感じを受け、気が付くと階段の前に立っていた。

「じゃあ、凱旋だ!」

ビルが宣言するように言い、階段を上った。

迷宮の入口には、何時も入口の横に座っている、屈強そうなドワーフが立っていた。

「おめでとう。ついにワードナから神秘の護符(アミュレット)を取り返したな。付いて来なされ。大君主(オーバー・ロード)トレボーに謁見を申し込もう」

屈強そうなドワーフは、足速に城に向かって歩き出した。その背を見ながらアンディとウォーリィ、ケインは顔を見合わせて苦笑をもらす。

「やり遂げた者に、トレボー王への謁見を申し込む役だったなんてな」

ドワーフに聞こえないようにアンディが囁いた。

アンディ達は屈強そうなドワーフの先導で、城の謁見の間に案内された。大君主(オーバー・ロード)トレボーは謁見の間の奥にある、王座に座っていた。地下四階にあった君主(ロード)の像よりも年を取ったような感じがある。それ程長い間、あの迷宮はワードナに支配されていたと言う事だろう。

「よくぞ神秘の護符(アミュレット)を持ち帰ってくれた。礼を言う。褒美としてそれぞれに、五万金貨(ゴールド)を与える」

トレボー王の座っている王座の横には、赤い布の被せられた台があり、其処には神秘の護符(アミュレット)真銀の手袋(ミスリル・グラブ)が置かれている。

「更に諸君を近衛兵の将校に任命しよう。誇りを持って階級証、袖章(シェブロン)を付けるように」

トレボー王がそう言うと、控えていた脇侍が寄って来て、それぞれの前に金貨(ゴールド)の入った袋と、袖章(シェブロン)を置いて行った。その袖章(シェブロン)は、普通、近衛兵が付けている物とは違った。ワードナを倒した事、神秘の護符(アミュレット)を取り戻した事を皆に知らせる為だろう。そしてそれを見届けたトレボー王は話を続けた。

「あの迷宮は、改造してワードナの墓地とする事にした。そこで、諸君にも警備に加わってもらいたい。尤も、これは強制では無く、要望である。これから更なる鍛練を続けるもの良し。警備に加わるも良し。諸君の望むままだ。警備には、他の冒険者にも加わってもらう事になっておる。よく考えて答えを出して欲しいものだ」

トレボー王は不思議な笑みを見せ、アンディ達に退出を命じた。


トレボー王から褒美として金貨(ゴールド)を貰った事もあり、傷の手当てをしてから、ソフィーやジェフを含めた六人は、ギルガメッシュの酒場でこれからの事を話し合っていた。

「で、皆。これからどうするつもりなんだ? トレボー王の言う通り、ワードナの地下墓地の警備をするのか」

ビルが皆の顔を見回した。ビルは、右の手首に白い布を巻いている。布には緑色の霊薬(エリクサ)が滲んでいた。

「いや。……俺、職業変更(クラス・チェンジ)しようと思ってんだ」

「俺も君主(ロード)職業変更(クラス・チェンジ)しようかと思う」

ウォーリィとアンディが言う。ウォーリィは左腕に、アンディは首に白い布を当てている。勿論、呪文で傷を治す事もできるのだが、戦士(ファイター)達三人は、揃って呪文で傷を治さない事にした。呪文で治すと、感じられない疲労が酷くなる。冒険中は疲労よりも、傷で動けない事の方が不利なので、呪文で治していたが、今は、もうそんな無理をしなくても良い。

「私は家に帰ります」

「私は高司祭様の勧めで、司祭になる修行をする事になりました」

ビルに視線を向けられたジェフとソフィーが応えた。

「ケインは?」

アンディが訊く。

「俺? 俺はする事もねーし、警備に参加しよーとか思ってる。そーゆービルはどーすんだ?」

「そうだなぁ。俺も警備に参加するか」

「お別れか」

皆の答えが出たのを聞いて、アンディが少し寂しそうに言う。

「なーに、何時でも会えるさ。生きてさえいりゃーな」

「ケインの言う通りだ。何時でも会えるさ」

ケインとビルが言う。

「ええ」

「今日は飲もうぜ」

ウォーリィが皆の杯に酒を注いで回った。

「じゃあ、神秘の護符(アミュレット)を取り戻した事を祝って、乾杯!」

アンディ達は、それから陽気に騒ぎながら、明け方近く迄飲み明かした。ギルガメッシュの酒場も、今日は店を閉めようとはせず、他の客も今迄とは何処か違う、陽気な表情をしていた。

「何時かまた会おうぜ!」

翌朝、酒場を出る時、ウォーリィが皆に笑い掛けた。

一つの冒険が終わった。ワードナから護符を取り戻した、六人の冒険者達は、それぞれの目的を持って、それぞれ別の道を歩き出した。

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