アンディの昔話を聞いた翌日、一行は迷宮の中を地下三階へ向かって歩いていた。
「三階の地図描きをやっちまわんと、しょうがないよなぁ」
「ええ。下りの階段を見付けると共に、四階で戦えるだけの実力を付ける事も必要です」
ビルが呟くのに、ジェフが頷いて応える。
「四階で戦える実力?」
「少なくとも龍と戦って、勝てるようでなければいけません」
アンディの不思議そうな問い掛けに、ジェフがおっとりと応えを返す。
「……そうか、四階には龍がいたんだっけ」
「でもよ、その龍の強さってぇのが判んねぇんじゃ、勝てるかどうかなんて判んねぇだろ?」
一度だけ四階に行った時の事を思い出したのか、少し嫌そうな調子のアンディの言葉に、被せるような間合いでウォーリィが言う。
「それと、もう一つ」
「もう一つ?」
少しもったいぶったようなジェフの言葉に、アンディ、ウォーリィ、ビル、ケインが声を揃えて聞き返した。
「ええ。腕の立つ七人の者達と戦って、勝てるようにもならなければいけません。彼等は訓練場の教官達よりも強い、と言う噂もあります」
ジェフが不思議そうな四人に笑顔で応える。
「それが本当なら、そっちは未だ無理だろうなぁ」
「何にしろ、迷宮で戦うしかねぇだろ。ただ話してても、強くはなれねぇぜ」
ビルの呟きを聞いて、ウォーリィが少し苛立ったような調子で言い、早くも地下三階への階段に足を掛けていた。
「確かに」
アンディが腰の短刀に触りながら、小さな声で呟いた。皆に昔話をしたからか、アンディの探索に対する姿勢が変わった。慎重すぎる所為で、何時もウォーリィ達に引き摺られるような感じだったのだが、そんな印象が無くなったのだ。そんなアンディの様子を、ソフィーは穏やかな笑みを浮かべながら見ていた。
「取り敢えず、三階の地図描きから片付けよう」
ビルが宣言するように言い、地下三階への階段を下った。
アンディ達は、地下二階から降りて来た階段がある場所で、顔を突き合わせていた。
「北へ行くと、落し穴があったんだよな」
「どー進めばいーんだ?」
アンディが思い出すような調子で言い、ケインがジェフの顔を覗き込んだ。
「南に向かうと言うのはどうでしょう」
「南? ああ、途中の象眼を、信用してみようって事か」
ケインが思い出したように問い掛ける。
「取り敢えず、象眼の通りに動いてみるかなぁ」
ビルの呟きを聞きながら、一行は南に向かった。すると、次の十字路にも象眼模様があった。
「『左に曲がれ』か」
ケインが声に出して象眼で描かれた模様を読む。
「何か、馬鹿にされてる気がすんのは、俺だけか?」
「馬鹿にされてる?」
ウォーリィの言い様が気にかかった、アンディが聞き返した。
「これよ、こっちから見ても『左に曲がれ』って見えるぜ」
後にした十字路を振り向いて見ながら、ウォーリィが応える。
「この象眼に意味はないと?」
そんなウォーリィの顔を見ながら、アンディが問い掛けた。
「何かあんのかもしんねぇが、見方は違うかもな」
「と、おい。丁字路だぜ。十字路ばっかかと、思ったけどなー」
ケインが北側の壁を叩いている。
「象眼模様は、と……『左に曲がれ』?」
ジェフが象眼模様を見て、首を傾げている。
「どないせーって?」
左にある北側の壁を見ながらケインが呟く。
「これには、意味はないって事かな?」
爪先で床の象眼を叩き、乾いた音を響かせながら、アンディが呟いた。
「必ずしも来た方から見るのではない。と言う事だけは確かのようですわね」
ソフィーが言い添える。
「真直ぐ進もう。先に外観を把握した方が良いだろうしなぁ」
「ええ」
ビルが促し、ジェフが地図を描きながら後に続いた。
何回か町と迷宮内を往復して、延々と歩いた結果、地下三階は十字路と丁字路に必ず、象眼模様、回転床、落し穴のいずれかがあるという事と、空間が歪んでいて、完全な無限迷路を形成している事が判った。そして三つ目の鍵を持っているだけで、回転床が回らなくなるというのは、少なくとも嘘のようだった。
「何か、歩いただけで疲れちまった」
小休止しようと止まった途端、ケインがぼやく。今回は、敵と会うこともなく、落し穴に落ちなかった所為もあって、かなり長い間、歩くだけだったのだ。
「取り敢えず、外観は把握できました」
「やったぜ」
ジェフの手元を覗き込んだウォーリィが、嬉しそうな声を出した。ウォーリィは、迷宮内の戦闘で、色々な鬱憤を発散させているような所があるので、なるべく戦闘もせずに、ただ迷宮内を歩いていると、機嫌が悪くなっていく傾向にある。
「この扉を、一つ一つ確かめないと、いけないのかな」
アンディも地図を覗き込んで、少し嫌そうな顔をしていた。扉の向こうには、大抵、敵が待ち伏せしている事を考えれば、どれだけ戦闘をこなさなければならないのか判らない。そして、同時にどれだけの時間が掛かるか判らないという事だし、アンディは、なるべくなら戦闘には関わりたくないというような所がある。
「手当たり次第、開けてけば良いじゃねぇか」
「全ての扉を開ける必要は無いと思いますよ。取り敢えずは、下りの階段を見付ければ良いのですから。尤も最終的には、全ての扉を開けてみる事になるのかもしれませんが……」
気軽そうに言うウォーリィの声を聞きながら、ジェフはアンディを慰めるような表情を見せながら答えた。
「とにかく、扉を開けようぜ」
ウォーリィは言い終わらない内に、扉を蹴り開けていた。そこには、兎と灰色のみすぼらしい犬が、かなりの数集まっていた。そして全ての目が、いきなり部屋に入って来たアンディ達を映し、異様な光を放っていた。
「な、何だ……」
「その兎は……。その兎を早く退治して下さい! その兎の歯は鋭くて、私達の首等、簡単に落とせてしまいます!」
絶句しているアンディの肩越しから敵を見た、ソフィーがいきなり叫んだ。
「判った!」
珍しいソフィーの叫びに、ウォーリィが即座に応え、その声で三人の戦士達が兎に飛び掛かる。それぞれ、前にした兎は倒したのだが、如何せん数が多く、対処し切れない。
「炎をも凍らす氷の風よあれ。冷たき気の力を荒れ狂わせよ。冷気!」
いきなりジェフの声が響き、辺りが白く霞んだ。そして、その霞みに包まれた兎は凍り付き、次々と絶命して行った。ソフィーの珍しい叫びの所為か、ジェフが何時もは使わない、攻撃系の呪文を使ったのだ。
「後は、そのみすぼらしい犬だけだな」
ジェフの呪文に飲まれたように、少しの間、動きが止まってしまっていたウォーリィが、不敵な笑いを浮かべ、みすぼらしい犬に切り掛かって行った。みすぼらしい犬は兎が全滅した所為もあってか、半数程が逃げ去り、残ったものも戦士達に止めをさされた。
「ソフィー、この兎の事知ってんのか?」
珍しく叫び声を上げたソフィーに、とりあえず自分達以外に動く物がなくなってから、ウォーリィが、不思議そうな顔で尋ねた。
「ええ。この兎はボーパルバニーと呼ばれています。勘が鋭く、生き物の急所等をほぼ、一瞬で見分けると言いますわ。ですからこの鋭い牙で、そう、忍者の必殺能力と同じように、人であれば首等を狙い、一撃で相手を倒そうとするのです。それに、必殺能力等、身体の一部が完全に胴体から切り離されてしまって絶命した者は、何故か蘇らせる為の呪文が効きにくくなるのです。敵に回した時、これ程厄介な力は、他にはまず無いでしょうね」
「こっちの、みすぼらしい犬の方は?」
ソフィーの説明を聞き終ってから、アンディが指し示しながら聞いた。
「それはコヨーテでしょう」
応えたのはソフィーではなく、ジェフだった。一般に、魔術師というのは、物知りとの評判が高い。ジェフも例外では無く、魔物のことについてもよく知っていて、大抵の場合、問えばしっかりとした答えが返ってくる。
「コヨーテ?」
「草原に住む犬……いえ、犬より狼に近いですか。この灰色の毛と、太い尾で見分けます。結構臆病な所があるので、例え腹を空かせていても、こちらが強いと判れば、直ぐに逃げ出します」
聞いた事のない名前に、不思議そうにケインが聞き返し、それに面倒臭がらずに、ジェフが応える。
「そういやあ、半分くらいは逃げてったな」
「ええ」
ウォーリィが少し悔しそうに舌打ちをしているのを、宥めるような調子でソフィーは相槌を打つ。
「しかし、何で迷宮の中にいるんだ? 元々、草原に住んでるんだろう?」
「普通のコヨーテならそうです。しかし、あれはワードナが召喚したものでしょうから、この迷宮から逃げ出さないように、呪文でも掛けられているのでしょう。それに迷宮の守りにする為に、人肉を喰すようにされているのではないかと思います。ですから人を襲うのでしょう」
アンディの問いに、ジェフが哀れむような顔を見せながら応えた。
「さぁ、もう少し進んで見よう」
会話に加わっていなかったビルが、促すように声を掛けた。
アンディ達は町と地下三階を何回も往復して、やっとの思いで地下四階への階段を見付けた。
「やっとこさ、四階へ行けるのか」
下りの階段を見ながら、感慨深げにウォーリィが呟く。
「どうした、ウォーリィ」
「ふん。俺は早く龍と戦ってみてぇのさ」
「龍とか。俺はなるべくなら、戦わずに済せたいな」
ウォーリィにアンディが応えている。その間に、ビルを引っ張るようにケインが右の方つまり、西の方へと足を向けている。アンディやウォーリィも話しながらではあるが、遅れずに付いて行く。
しばらく真直ぐに歩くと右に曲り、また少し行くと、右に通路が分岐している。真直ぐ行った突き当たりには、扉が一つあった。アンディ達は真直ぐ進み、突き当たりにある扉をウォーリィが、いきなり蹴り開けた。何か待ち受けているかと、かなり緊張した様子だったアンディだが、其所は細長い部屋で、敵が待伏る事もなく静まり返っていた。尤も見ようによっては、通路の真中に扉があるようにも見える。
「何にもねぇな。もっと大きな部屋かと思ったんだが」
ウォーリィが、面白くなさそうに呟いた。
「此所には何も無さそうだなぁ。少し戻って、さっき分岐していた方へ、行ってみよう」
ビルが一応部屋を見回してから言う。他の者達も反対する理由も無く、分岐路まで戻り、その東へと伸びている通路の、北側の扉を開ける。其所は、極小さな部屋で、正面に又扉があった。その扉をウォーリィが蹴り開けると、其所に、緑色の龍が四匹いた。
「何でこんな狭いとこに、四匹もいんだよー」
ケインが悪態を付きながら、戦闘の邪魔にならないように、さり気なく下がる。盗賊であるケインに戦闘中にできることは殆ど無いと言っても良い。
「ジェフ、ソフィー。援護を頼む」
ビルが言い、右から二番目の龍に飛び掛かって行った。アンディとウォーリィもそれぞれ、両端の龍に切り掛かる。ジェフとソフィーは、それぞれ呪文の栄唱に入った。
「我が神カドルトよ、御身の恵み、より広く強い幕となし、戦に赴く我らを包み給え。祈願!」
ソフィーが唱えたのは、敵の攻撃を当り難くする祈願だった。ソフィーが呪文を唱え終わると同時に、全員の身体がぼんやりと金色の輝きを放つ。この光によって防護力を下げるのだ。
「眠れ。動きを止め、我が言の葉のままに。誘眠!」
ジェフは何時もと同じく誘眠を唱えた。今にも大きく息を吹き掛けようとしていた三匹の龍が、その呪文の効果で眠りについた。しかしウォーリィの戦っていた一匹だけは眠らずに、ウォーリィの左の二の腕に噛み付いていた。ウォーリィは左腕を庇おうともせず、龍に切り掛かっていく。三階迄の敵なら、一撃で倒す実力を付けてきていた戦士達だが、相手が龍ともなると、そうも行かないようで、龍はジェフの呪文の影響から覚めると直ぐに、大きく息を吹き掛けてきた。龍の吐き出した緑色の気体には、毒は含まれてはいなかったのだが、その気体を吸い込むと、胸が内側から焼かれるような感覚があった。それでもアンディ達は、それぞれ怯まずに、攻撃を加えて行く。
「炎をも凍らす氷の風よあれ。冷たき気の力を荒れ狂わせよ。冷気!」
ジェフの声が部屋の中に響き、呪文の冷気が部屋に満ちると、やっと龍も動かなくなった。
「ふぅ、助かったよ。ジェフ」
ビルがジェフの肩を叩いた。隣ではソフィーが、先程龍に噛まれたウォーリィの左腕の治療をしようと、ウォーリィを屈ませている。
「ウォーリィ、動かないで下さいね。我が神カドルトよ、この者の命の力を蘇らせ給え、この者の体の力を蘇らせ、傷を癒し給え。施療!」
「ああ。……ありがとう」
かなり照れたように、ウォーリィが礼を言う。
「あれ?」
その時、宝箱を開けていたケインが、声を上げた。
「どうした、ケイン」
倒した龍を覗き込んでいたウォーリィが、からかうような調子で声を掛ける。
「ああ。こいつが守ってた、宝箱に入ってたんだ。けど……」
ケインが言いながら、剣を差し出す。
「これが、どうかしたのか?」
「普通の奴よりかりーんだ」
「軽い?」
ケインの言葉を聞いて、ビルが不思議そうに聞き返す。
「剣はあんま持ち慣れてねーけど、見た目よりずっとかりーぜ、これ」
「確かに、少し軽いな」
ケインに差し出しだされた、布にくるまれた剣を、アンディが重さを計るように持ち上げた。
「魔法の品物かな?」
「恐らくそうでしょう。ただ、呪いが掛かっているかもしれませんから、持ち帰って、鑑定してもらった方が良いでしょうね」
アンディの問いに、ジェフが少し嫌そうな顔で応える。ジェフは、ボルタック取引所の主人には、あまり良い感情は抱いていない。鍵の鑑定を依頼した時、法外な値段を付けられた事を思い出すからだろう。
「それより、此所の探索を終えちまおうぜ」
ウォーリィが言い、ケインが魔法の品物らしき剣と、鍵開け道具を一緒に、背負袋の中に押し込んだ。
この後も、延々と小さな部屋が連なっているこの辺りを探索して、虫の大群や、霧のような正体不明の存在―これは後でグレイブミストという、墓場によくいる、意志を持った霧と判った―、それに忍者の一団と戦った。忍者の持っていた刀の刃には、毒が塗ってあったらしく、ウォーリィが毒に侵されたりもしたが、ソフィーの呪文で事無きを得た。そして、その忍者の一団が持っていた宝箱には、鎧が一つ入っていた。龍と戦った影響か、戦士達の気合いの入り方も尋常では無く、戦士達三人は不思議な高揚感のようなものに包まれ、何時も慎重なアンディでさえも、狂暴な雰囲気に支配されていた。
「皆さん。今回はこれで、帰りませんか? 先程見付けた鎧や剣も、鑑定してもらわなければなりませんし」
この一帯を捜索し終わり、登り階段迄戻って来た時に、珍しくソフィーが皆に声を掛けた。この状態を長く続ける事は、戦士達の身体はともかく、精神がもたないだろうと判断したからだ。
「……ああ、そうか。そうした方が良いかも……」
アンディが我に返ったような様子で、呟くように応えた。
「そういや、この鎧も修理しなけりゃ、なんねぇな……」
「あぁ。取り敢えず、今回はこれで町に戻ろう」
ウォーリィが鎧の壊れた左腕を見ながら言うのを、ぼんやりとした表情で聞いていたビルが宣言した。
アンディ達は迷宮から出ると、そのままボルタック取引所に向かった。
「いらっしゃいまし、旦那方。それに御婦人」
主人は何時も通り、アンディ達が店に入ると同時に、声を掛けて来た。
「何が御入り用ですか?」
笑顔を向けて、主人が聞く。
「この剣と鎧を、鑑定して欲しいんだ」
言いながら、ケインが剣と鎧を主人の前にある卓の上に並べた。
「よろしいですよ。そうですね……こちらの鎧は、750金貨、剣の方は……5000金貨いただきます」
主人は何時もは掛けていない、眼鏡を掛け直しながら言う。
「5000? そんなにするのか?」
「はい」
ウォーリィの問いに、涼しい顔で主人が応えた。
「アンディ、半分出してくれるか?」
「ああ。良いぜ」
「じゃあ、俺がこの鎧の鑑定料を出すか」
結局、アンディとビルが剣の分を、ウォーリィが鎧の分を出した。
「剣の方は+1の長剣。鎧の方は+1の胸当てですよ」
「なら、この鎧はソフィーが着けると良い」
ウォーリィが受け取った鎧をソフィーに渡す。ソフィーは鑑定料をウォーリィに払って鎧を受け取り、自分の着ていた鎖の鎧をカウンターの上に置いた。
「お幾らくらいで、引き取ってもらえますか?」
「……そうですねぇ。余り痛んでもいませんし、売価の半値で引き取りましょう」
主人は念入りに鎧を見てから、おもむろに応えた。
「お願いします」
「こいつはどうしよう」
ビルが剣を手に持って、アンディと話している。
「ビルが持っていると良いよ」
「そうか。鑑定料の残りは後で必ず払うからな」
「ああ」
ビルに相槌を打ちながら、何故かアンディは腰の短刀を触っていた。
「親父。この剣、幾らで引き取ってくれる?」
「これなら、売価の一割程度でしか引き取れないね」
「まぁ、良いか。それで引き取ってくれ」
少し冷たい声で言う主人に、ビルは今迄使っていた、長剣を渡した。
ボルタックを出た後は、何時もの通り、ジェフは賢者の所へ、ソフィーはカント寺院へ、そしてアンディ達は、ギルガメッシュの酒場へとそれぞれ向かって行った。
まだ飲むのには早い時間なので、酒場には人はあまりいない。アンディ達は奥の方の卓についた。少し早いような気もしたが、酒を頼み、お互い話をするでもなく、他の客の話を聞くともなしに聞いていた。その中に迷宮の入口にいるドワーフの話があり、それを聞いてケインがいまいましそうに言う。
「たく。あのドワーフはなんで、あんなとこに座ってんのかね。どう思う、アンディ」
「そうだな……皮肉を言う為だとは思えないし、何でだろう」
アンディはケインの声で、今迄組み立てていた考えを、中断されてしまったようである。
「何かやり遂げた者に、何かを渡す為とかなぁ」
「そんなはずねー。皮肉ばっか言って、俺らの事なんか見てやしねーぜ」
ケインがビルの呟きを聞いて噛み付いた。
「しかしそうでもなけりゃあ、あんなとこに一日中座ってられるかなぁ。ドワーフが何もしないでだろう?」
ケインに噛み付かれても、ビルは少しも慌てずに、言葉を継いだ。
「もう少し迷宮の探索が進んだら、そんな謎も解けるんじゃないかな」
「アンディ、そんな簡単にいくと思うか?」
ウォーリィがアンディの方を、意地悪げに見る。
「簡単って言うけど、簡単には探索が終わらないだろう?」
「ま、そうか。悪名高きワードナの迷宮。探索の意味を知ってる者もなし」
ウォーリィが何かを読んでいるような口調で答える。
「探索の意味はワードナを倒す事、じゃないのか?」
アンディは訝しげに、皆を見回して誰にとも無く聞いた。
「それだけじゃねぇって噂があるんだな、これが」
「ただの噂だろ?」
「火のねぇ所に、煙は立たねぇってね」
不思議そうにしているアンディに、ウォーリィが悪戯っぽく笑う。
「どういう事だ?」
「迷宮の中から、何かを探し出さなくてはいけないようなんだが、それが何なのか、そして何処にあるのかが、全く判らないんだ。地下四階に答えがあるとも聞いた事があるよなぁ」
アンディの疑問に、今度はビルが答えた。
「……知らなかった」
「まあ、アンディはこの町に来て、直ぐに迷宮に入ったから、噂を聞く間も無かったようなもんか。この酒場では結構有名な話だぜ」
ビルの応えを聞いて、惚けているアンディに、ウォーリィがからかうような顔を向けていた。
「へえ……」
「しかし、これだけ冒険者がいながら、迷宮内で会った事がないのはどうしてだと思う?」
ケインが話に区切りが付いたのを見計らって、話題を変える。
「そう言えば、人型で俺達のように組んでる奴等に、会った事は無いなぁ」
「盗賊の一団には、会っただろ。それに魔術師や僧侶にも」
ビルのつぶやきを聞いて、アンディが思い出したように言う。
「そーだっけ?」
ケインは覚えていないようで、首をかしげている。
「盗賊には一階の奥で、僧侶や魔術師には、二階で会ったな。確か」
ウォーリィが、からかい顔をケインに向けている。
「ただ、どれも冒険者という感じじゃあなかったかぁ。問答無用で襲って来たし、一団が皆同じような職業のようだったもんなぁ」
ビルが宙を見ている。
「しかし、どれだけの者達が入り込んでいるのかは知らないけど、それなりの人数が迷宮内に居る事になるだろう? おまけに、魔物も数知れずいるのに、あの静けさは何だか不気味だよな」
アンディが不思議そうな顔で、皆の顔を見回した。
「そうだよなぁ。シンとしてるもんなぁ」
「あの苔が静けさを増してるみてぇだよな」
ビルの呟きに、ウォーリィが応えるような間合いで言った。
「苔が音を吸収するかなぁ」
「いや、そんな気がするだけさ」
ウォーリィが照れたように苦笑し、話題を変えた。
アンディ達は結局、それ以降はこれと言った話もせず、それぞれ自分の心の中を見詰めるかのように、ただ、黙って杯を重ねていた。
地下四階に降りて直ぐ、先頭に立っているビルが左に向かう。
「今度は、こっちか」
ウォーリィが人の悪い笑みを浮かべ後に続いた。少し行くと、右に通路が折れていた。真っ直ぐ歩いていくと、突き当たりに扉があった。
「開けるぞ」
ビルが扉を開けようとしないので、一応皆に声を掛けてから、ウォーリィが扉を蹴っ飛ばした。
扉を開けて入った所には、巨大な壁が立ちはだかっていた。熊が描かれているその壁は、人が入って来たのを感じたのか、先頭のウォーリィが扉を潜った途端、アンディ達の方に向かって動いて来た。そしてアンディ達は、入ってきた扉の外に追い出されてしまった。
「何だったんだ? 今のは」
「熊が描かれてたな」
ケインが呆然と呟くのに、アンディが言葉を返す。
「熊? 熊の彫像を何とかしねぇと、なんねぇのか?」
ウォーリィが、忌ま忌ましそうに扉を蹴っている。
「突き付けてみるか? あの壁に」
「やってみる価値はあるかもなぁ」
ウォーリィを宥めるような調子で、アンディが言い、ビルが同意を示す。
「じゃあ。行くぜ」
ケインから熊の彫像を受取り、ウォーリィは扉を開けた。
熊が描かれている壁には、良く見ると、熊の彫像が丁度入るくらいの穴が開いていた。またしても動き出した壁に、ウォーリィが熊の彫像を押し込むと、壁が止まった。
「で、止まったは良いが、これからどうすんだ?」
「押してみるとか?」
ウォーリィの問いに、悪戯を思い付いた子供のような調子で、ケインが返した。
「押してどうにかなる大きさかよ。これ」
ウォーリィが言いながら、壁を叩くと、熊の描かれた巨大な壁が、跡形もなく消え、熊の彫像だけが通路の真ん中で一行を見詰めていた。
「消えた?」
「消えたなぁ」
幾分呆然と、自分の手と熊の彫像を見比べているウォーリィの声に、のんびりとしたビルの声が重なる。
「幻影だった、てーのか?」
「実際、あの壁に押し出されたんだから、幻影ではないと思う」
ケインの問いに、アンディが応えた。
「良いじゃねぇか。進もうぜ」
何時ものように、障害が無くなった原因には頓着しないウォーリィが促す。
壁が無くなると、そこは真っ直ぐ長い通路が伸びていた。少し歩くと、行き止まりになっていて、左右に一つずつ扉があった。
「どっちが良いかな?」
ケインが何時ものビルの口調を真似て、右の扉を開けた。開けた所は、小さな部屋で、正面に扉があった。
この地下四階南東の一帯は、延々と小さな部屋が続いていて、部屋には時々敵が待ち伏せしていた。敵と言っても、この辺りに巣くっているのは、大型化した昆虫の類いが多く、大蜘蛛や巨大甲虫―蜘蛛はヒュージスパイダー、甲虫の方はボーリングビートルと呼ばれている―が、大量に襲って来た。呪文等で強化でもされているのか、殻が異様に堅い所為もあって、どうしてもジェフやソフィーの呪文に頼るような戦闘になってしまうので、ウォーリィはかなり不本意そうな顔をしていた。
そして延々と扉を開け続けた結果、この一帯は、殆ど二方向にしか扉は存在せず、枝別れしている所は見付からなかったのだか、二ヵ所だけ、三方向に扉がある部屋があった。
「あとは此所かぁ」
三方向に扉のある部屋の、未だ開けていない扉の前で、ビルが呟いた。
「開けるぞ」
その呟きを聞いて、ウォーリィが宣言するように言ってから、扉を開けた。扉を開いて入った所の床に、青く輝く魔法陣が描かれていた。そして通路全体に綺麗な、青い色の煙のようなものが満ちて来た。
「な、んだ……これ……」
ウォーリィの切れ切れの声を聞きながら、ウォーリィを含め全員が、深い眠りに落ちて行った。
しばらくして、アンディ達は目を覚ました。
「何か、怠い……な」
酷い脱力感を感じつつ、アンディが呟いた。
「扉の前、ですか。……定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭! ……。熊の描かれている壁があった北側です、此所は。かなり移動させられたようです」
ジェフが現在位置を確認して、皆を見回した。
「青い煙みてぇのを吸い込んで、……その後の記憶は、はっきりしねぇな」
「誰かの声が聞こえたなーと思った、次の瞬間から覚えがねー」
ウォーリィが呟くように言い、ケインが不機嫌さを隠さずに続けた。
「……青い品物って、何かあったっか?」
怠そうに頭を振っていたアンディが、ぼんやりと呟いた。
「青い品物?」
呟きを聞いたウォーリィが、不思議そうに問い返した。
「前にエドモンドさんが、『仕掛に引っ掛かると、必要な品物の見当が付くようになってるらしい』とか言っていただろう?」
アンディは未だ煙の影響が残っているのか、何処かぼんやりとした顔付きだった。
「そう言や……。でもよー、青銅製の鍵ならあっけど、青い品物なんて見付た覚えはねー」
「ありゃ、青銅って色じゃねぇよ」
ケインが背負袋の中を見ながら応え、ウォーリィが不機嫌そうに呟く。
「噂の、六っつ目の品物かもしれません」
ジェフは地図を見ながら囁くように言った。
町に戻って来たアンディ達は、何時もの通りにそれぞれ分かれて行った。
そして、ジェフは賢者の所へ行った後、ギルガメッシュの酒場に向かったアンディ達に合流しようとしていた。
「よ、ジェフじゃないか」
酒場に入ろうと、扉に手を伸ばした時、いきなり後ろから声を掛けられた。振り向くと、ジェフの兄であるフレイムが、明るい茶色の目を悪戯っ子のように輝かせて立っている。彼はエルフとヒューマンの中間種なので、そんな瞳の色をしている。髪の方は普通のエルフより、少し金色が濃い程度であまり変わらない。
「兄さん。どうしたのですか、そんな格好をして」
フレイムは真新しい板金の鎧に身を包み、長剣を腰に、大型の楯を背に負っていた。
「ブラストに引っ張り出された。退屈だから冒険に出たいなんて言ってな」
ブラストは彼らの弟で、かなり無鉄砲な所があり、何時も二人を困らせていた。
「ブラストらしい。ところで、そのブラストはどうしたのですか?」
見回してみても、ブラストの姿はない。ブラストもエルフとヒューマンの中間種で、エルフよりも淡いけれど緑がかった金髪は、このポーグロムがそれなりにエルフが多い町とは言え、かなり目立つ。
「闘技場に行った。探索より闘技場で戦っている方が、あいつには合っているようにも思うよ。で、お前は?」
酒を飲む事は滅多に無い弟の事を知っているフレイムが、少し不思議そうな顔を向けている。
「私が今一緒に探索をしている者達が、此所にいるはずなので、一緒に食事でもしようと思いまして」
「そうか、邪魔したようだな」
フレイムは微笑んで、踵を返した。
「そんな事はありません。一緒にどうですか?」
「良いのか?」
ジェフが慌てて呼び止め、フレイムは不思議そうな表情で、肩越しに弟の顔を見た。
「私の仲間を紹介しますよ。尤もソフィーはいないでしょうけれど」
「寺院に行ってるんだろう?」
フレイムはソフィーを知っている。ソフィーは彼らの家に良く遊びに行っていたのだ。
「ええ。彼女は滅多に此所には来ません」
フレイムにそう応えながら、ジェフは扉を潜った。
入って来たジェフに気付いて、声を掛けようとしたウォーリィは、ジェフの後ろに、見知らぬ人がいるのに気付き、上げた手をそのまま止め、口を噤んだ。
「あれ、ジェフ。その人は?」
黙ってしまったウォーリィの変わりに、側にきたジェフにアンディが声を掛ける。そのアンディにフレイムは、今は薄暗い照明の為に金色に見える瞳を向けた。
「私の兄のフレイムです。兄さん、彼等が私の仲間です。左からビル、ケイン、ウォーリィ。そして、アンディです」
「始めまして」
ビルが言うと同時に、皆軽く会釈した。会釈はしたが、ウォーリィとケインは、今のジェフの紹介が納得いかないらしく、顔をしかめている。
「こちらこそ」
フレイムは応えながら、ジェフの隣の開いている席に腰を下ろした。
「よく、似ていますね」
隣に腰を下ろしたフレイムに、アンディが声を掛けた。
「誰と?」
「ジェフと、ですけど」
訝しげなフレイムに、アンディは聞き返されたのが不思議そうに応えた。
「初めてだな。そう言われたのは。外見はあまり似ていないだろう?」
「そう言われれば……。でも、受ける印象は良く似ています」
フレイムに言われて、アンディは改めて二人の顔を見た。顔の造作は確かに似てはいない。しかしその全体から受ける印象は、少なくともアンディにはそっくりに思えた。だからアンディは、ジェフがフレイムを兄だと紹介した時に、素直に信じたのだ。ウォーリィやケインは、未だ不思議そうに二人を見比べている。
「アンディ君と言ったな。剣士のようだが、君の職業は君主なのかい?」
「いえ。俺はただの戦士です」
フレイムの言葉に、アンディは苦笑しながら応える。
「そうか。将来、君主に職業変更するのも良いかもしれない。君ならきっと、良い君主になれる」
「そうですか?」
「ああ。君主にとって、一番大事なものを持っているよ。君は」
フレイムはアンディに優しげに笑い掛けた。
「フレイムさんの職業は、何なんですか?」
アンディが言葉を返せないでいると、ケインがフレイムの向い側から声を掛けてきた。
「俺? 俺は君主だ。立派なと言うには、未だ未だ修行が足りないが」
フレイムの応えを聞き、ケインの顔が輝く。職業により、情報の伝わり方が違う為か、稀にではあるが、情報の総元締めとも言える盗賊の知らない事を、他の職業の者が知っている事がある。そして、ケインが君主に会うのは初めての事なのだ。
「なら別のを知ってるかな? 迷宮の謎について」
「迷宮の謎?」
ケインの言葉に、アンディが不思議そうな顔で問い掛けた。
「つまりさ、迷宮内で集めなきゃならねー品物は、六っつあるって、言われてんだろ? なんで、皆が六の品物を、集められるんだろーって事さ。エドモンドさんの話を聞いて、不思議に思わなかったか? 青銅製の鍵や銀製の鍵なんかが、幾つもあるのは何故か、とか」
「そう言えば……」
アンディはエドモンドに聞いた話を思い出しているのか、何処か遠くを見ているような瞳をケインに向けていた。
「フレイムさん、何か知りませんか? その事について」
ケインの説明を黙って聞いていたフレイムに、ビルが促すように声を掛けた。
「そうだな……あれは通常の力で作られた迷宮ではない、と言われているだろう? 魔術師ワードナが、特別な呪文の力を使って作った迷宮だから、普通の空間とは思わない方が良い、とは聞いた事がある」
「今思えば、地下三階の無限迷路は、その所為だったのかもしれません」
ジェフは懐に入れてある地図を、法衣の上から触っていた。
「それは判らないが、あの迷宮は使われた力が強すぎて、迷宮を作る時に、ワードナがいた建物が壊れてしまったとも言われている。そんな迷宮で起こる事全てが、人の知恵で解明できるとは思うべきじゃないだろう。そう言えば、あの迷宮の別の名を知っているかい?」
「別名? そんなのがあるんですか?」
ケインが不思議そうな顔をした。盗賊のケインも初耳の話しらしい。
「ああ。『狂王の試練場』と言うんだ。この名は、かなり腕が立つようになった者達の間でだけ呼ばれると、俺の師匠が言っていた。この為かもしれないが、あの迷宮は上の方の階と、下の方の階の支配者が、別々にいるとも言われている。だから、上の方の階と同じように考えて下の方の階へ行くと、全滅する事になるだろうとな。と、俺の知っている事はこれくらいだが、参考になったかな?」
少しからかうような表情で、フレイムがケインを見る。
「その上の方の階と、下の方の階ってーのは、何処ら辺で分けんですか?」
「確か……地下四階か五階だったと思うよ」
ケインの問いに、フレイムは一瞬、瞳を閉じてから応えた。
「うん、なるほど。今迄で一番満足できる答をもらった」
ケインは何度も頷きながら呟いた。そして突然顔を上げ、これ以上なく嬉しそうに、フレイムに礼を言う。
「ありがとうこざいました。フレイムさん」
この後アンディ達は、フレイムから色々と冒険の話などを聞き、自分達も迷宮での話をしながら、皆で閉店の時間迄騒いだ。そして何故かフレイムは、始終優しげな笑顔をジェフに向けていた。