トレボー城の城下町、ポーグロムにある訓練場の入口を、一人の男が凝視していた。尤も男と言っても、まだ少年と言った方が良さそうな、不安定さの残る風貌をしていた。彼は訓練場へ入ろうかどうか、迷っているようである。見ると剣士らしく、重そうな鎧を着て、腰の左側に長剣を、右側には短刀を下げ、左手に楯を持っている。しかしどれも長い間使っていたようで、重そうな鎧は、今にも壊れそうな様子だし、楯もあちこち傷があり、すぐにでも分解しそうな有様だった。ただ、兜を被っていないので、その柔らかそうな、明るい茶色の髪が風に靡いている。あまり荒事に向いているとは思えない雰囲気を持っていたが、芯が強そうな表情をしている。その瞳は深みのある綺麗な茶色だった。彼は腰に差した短刀に触りながら、そこに佇んでいた。
しばらく考えた後、意を決したらしく、彼は訓練場に入って行った。
訓練場では、このポーグロムにある迷宮に入りたい者の名簿を作成している。登録する時にその者の力を計り、迷宮内で戦えるくらいの実力がなければ訓練を施す。以前は登録制度がなかった為もあり、噂を聞き齧っただけで、無謀にも普段着のまま、武器も持たずに迷宮に入ってしまう者達が続出したのである。トレボー王は、無駄死にさせる為に人を集めているわけではないのだ。
彼は訓練場で訓練をしなくても大丈夫だ、と言われたので登録を済ませ、町をうろついて仲間を見つける事にした。今の自分だけで迷宮に入るのは自殺行為に等しい。どうやって仲間を見つけよう等と考えながら歩いていると、金髪碧眼の男と擦れ違った。
「何やってんだ? こんな所でうろうろしてると、気の荒い連中に絡まれるぞ」
その金髪碧眼の剣士らしい男は、訓練場から歩いて来た、茶色の髪の剣士の身なりを見ながら話しかけてきた。碧眼の剣士は、茶色の髪の剣士とは違い、新しそうな装備を身に着けていた。茶色の髪の剣士は、仲間を見付けようと歩いている内に、そうとは知らずに、闘技場の近く迄来ていたのだった。
「此処は闘技場の近くか、こんなとこ迄来てたんだ。気付かなかったな」
訓練場から歩いて来た剣士は、声を掛けて来た碧眼の剣士を見ながら応える。
「ふうん。その様子じゃ、このワードナの迷宮に挑みに来たらしいが、そんな事じゃ、この町の冒険者とはやってけないぜ、お前。どうだ、俺が鍛えてやろうか?」
その言葉を聞いた時に、茶色の髪の剣士が見せた瞳の輝きの鋭さを見て、碧眼の剣士は満足そうな笑みを浮かべると、茶色の髪の剣士の瞳を見ながら、ゆっくりと腰から長剣を抜く。
「お前呼ばわりはよしてくれないか。俺にもアンドリュー・ラサフォードと言う名前があるんだ」
茶色の髪の剣士は、相手が笑みを浮かべた事には気が付かなかったようで、無表情に相手の出方を伺い、相手の動きに合わせ、剣を抜いて構えた。
「俺に勝ったら、そう呼んでやるよ」
碧眼の剣士は、応えながら切り掛かってきた。アンドリューには、やり合う気はないのだが、ただで殺される気もないので、特殊な、しかし華麗な動きで相手の剣を躱した。アンドリューの動きは訓練されたものではあるのだが、碧眼の剣士には動きの予測が付かなかったらしく、上体を泳がせる事になった。そして泳がせた上体を何とか持ち直し、もう一度剣を構えアンドリューを見た。しかし、その途端、彼は長剣を鞘にしまい、両手を上げた。アンドリューも相手を殺すつもりは全く無く、積極的に攻める様子はなかった。
「失礼した、アンドリュー。かなりやれるようだなぁ。俺はウィリアム・クレムソン。職業は戦士さ。ビルって呼んでくれて良い」
両手を上げたまま、碧眼の剣士は笑顔で挨拶した。
「アンディで良いさ、ビル。俺も職業は戦士だ」
笑顔を向けて来たビルに、アンディも笑顔を返した。アンディの対応を見て、ビルは上げたままだった両手を下げた。
「さぁて、いきなり腕試しは悪かったな。謝るよ。ところでアンディ、一緒に組まないか? 実は剣士を一人探してたんだ。迷宮に入る為に人を集めたんだけど、足りなくてな」
ビルの言葉を聞いて、アンディは考え込んだ。そんなアンディを見て、ビルがのんびりと言葉を継いだ。
「皆、何回か迷宮に入った事もある奴ばかりだし、腕も良いのを集めた。若い奴ばかりだから、迷宮に入るのに少し力不足と思うかもしれないが、その方が安全に探索が出来るってもんさ」
「そんな感じで大丈夫なのか?」
ビルの言い様に、アンディは少し呆れたような声で返した。ビルはそれを余り気にはしなかったようで、更に言葉を継ぐ。
「このワードナの迷宮では、何でかは判らないが、全滅の憂き目を見るのは、無謀な奴が混ざってて、それを押さえられないか、もしくは一人か二人、突出した力を持っている奴が、混ざっている時らしい。全滅したって言う奴等は、殆どどちらかなんだ。俺達は突出した力を持つ者はいない。少し無謀な奴もいるが、押さえられない事はない。なぁ、一緒に行かないか?」
アンディは迷っていた。ビルが『少し無謀な奴もいる』と言ったのが少し気になったのだ。しかし、根拠はないが、このビルという男と、一緒に冒険をしてみたいと思うのも事実だった。結局アンディは、その直感を信じる事にした。自分の直感は事、人の印象に関して外れた覚えがない。
「良いぜ。だけど、俺は知らない奴と組んで、探索するのは初めてなんだ。だからビルが集めた奴等と、合うかどうか判らない。そいつらと合わなかったら、抜けさせてもらうからな」
「あぁ、それで良い。ところで体慣らしに、一戦やってかないか?」
アンディの返事に、気を良くしたらしいビルは、嬉しそうな声でアンディを誘った。
「そうだな、……良いぜ」
二人は肩を並べて、闘技場に入って行った。
アンディとビルは、模擬戦を何回か行った。何時もなら闘技場は賭が行われ、人々の喧騒が溢れんばかりになっているので、こんな事が出来るはずはない。しかし、今日は賭は行われない日で、そういう日は申し出さえすれば、色々な事に使える。極端な話、市が立つ事さえあるのだ。
ビルはアンディの腕と、自分の勘に大いに満足したらしく、仲間達に紹介するからと、やけに嬉しそうな顔で酒場に誘った。
ギルガメッシュの酒場。この城下町で一番大きい酒場で、かなりの数の冒険者達がたむろしている。大体において冒険者は酒が好きな者が多い。その為か、色々な情報が集まり易いので、酒場には更に大勢の冒険者達が押し掛ける事になるのである。
酒場の扉を開けると、かなりきつい酒の匂いと、何やら肉を焼いたような匂いがした。酒場は未だ飲むのには少し早い時間なので、満席という事はないが、それでも七分くらいは埋っている。ビルが扉を開けると同時に、何人かが入口を見やった。しかし、直ぐ興味を失ったように、自分の杯へと視線を戻していく。ただ、その中で酒場の奥に座っていた男は、ビル達に手を振ってきた。ビルはアンディを伴って、手を振った男のいる方へ歩いて行く。
「よ、ビル。良い奴は見つかったか?」
声を掛けてきたのは、先程手を振っていた男だった、卓にはその男の他にも、三人が席についていて、二つ席が開いていた。
「あぁ、こいつさ。アンディだ。腕の方も確かめて来た」
開いた席に腰を掛け、アンディも座らせてからビルが応え、アンディの方を見る。
「よろしく」
アンディは男に手を差し出した。アンディより少し濃い茶色の髪と、黒い瞳を持つその男は、アンディの手を握り返して、ウォーリィと名乗った。ウォーリィは戦士で、かなりの自信家だとビルが小声で言い添える。
それから自己紹介が続いた。ウォーリィの右隣に座っているのがケイン。黒髪に、黒く鋭い眼をしている。職業は盗賊と言う事だ。アンディはケインを見た時に、ほんの少しだけ表情を変えた。それはかなり複雑な感情が、交じり合ったものだった。しかし、その表情はアンディの手が無意識に動いて、腰に差してある短刀を触った途端に隠れてしまったので、誰も気が付かなかった。
またケインの右隣には、特徴的な緑がかった金髪と、緑の瞳を持ったエルフが座っていた。ゆったりとした暗い色の法衣を着て、椅子の左側には長杖を立て掛けている。名はジェフ。見掛けの通り魔術師である。そしてジェフの右隣には、女性のエルフが座っていた。柔らかく微笑むその女性は、ソフィーと言う僧侶で、胸には緑色をした復活神カドルトの紋章を付けていた。
復活神は、その名の通り復活を司り、死亡した者達を生き返らせる時は、復活神の加護を求めるのが、一番確実だと言われる。また灰化した者の復活は、復活神の名を冠した呪文によってしか成されない。ただ、考え方の違いから、宗派が幾つか出来ていて、最大のものは、慈善派と猛悪派と呼ばれる。由来等は判らないが、慈善派の者達は緑色で、猛悪派の者達は赤色で紋章を描く。司祭ともなると、それぞれの色の法衣しか着なくなる。尤も、最高司祭だけは、どちらの宗派も束ねている為もあって、常に灰色の法衣を纏っていた。また、このポーグロムから、西に三十日程行った所にあるリルガミンでは、光の神でもある、大地神ニルダが崇められている。大地神の加護によって、町に害意のある者は入れないとの専らの噂で、町の郊外にはかなり大きな大地神寺院があり、信者も復活神の信者より多いと言われている。
この二神に、創造神マナを加えての三神が、この世で主に崇められている神である。この三神はそれぞれ、少なくとも敵対はしていない。役割によって、分けられているだけだ、と言われる所以だろう。尤も、創造神マナや大地神ニルダを崇める者達の数は、復活神カドルトを崇める者達に比べるとかなり少ない。
アンディは父親が信じていた、創造神マナを信じる事が出来なかった事もあり、復活神、それもどちらかと言えば慈善派の教えを信じている所がある。そして、猛悪派の者達に多い、あの冷酷非情な性格の者とは、どうしても相入れないものがあり、出来れば猛悪派の信者達とは、行動を共にしたくないと思っていた。だからソフィーが慈善派だと知って、少しほっとした。
自己紹介が終わるとウォーリイ等は、アンディの事を、十年来つき合っているような様子で、話をし始めた。酒の所為もあるかもしれないが、アンディの方も、彼等の雰囲気に慣れるのに、そう時間は掛からなかった。エルフの二人はあまり話にも加わらず、アンディの様子を見ているが、気に入らないからではないようで、二人とも雰囲気が柔らかい。
その日は閉店迄この酒場で飲み、明日はアンディの装備を整えて、迷宮に行こうという事になった。そして、ビル達とアンディは冒険者達の宿と言う、この城下町で一番大きな宿で休んだ。
朝になって、アンディが階下へ降りて行くと、ケインとウォーリィが寛いでいて、ソフィーは信仰神に祈りを捧げていた。その横では、ジェフが呪文書を読んでいる。他にも何人かが寛いでいたが、ビルは未だ寝ているらしく、姿は見えなかった。
「よ、アンディ。良く眠れたか?」
「ああ、ウォーリィ」
アンディに気付いたウォーリィが、声を掛けてきた。
「買い物に行くんだろ? 一緒に行っていーか? ビルは未だ寝てっから、起きて来る前に、買い物、すませちまおーぜ」
その横でケインが身繕いを終えていた。
「そうしよう」
アンディとケインが連れ立って宿から出て、少し行きかけた所で、ウォーリィが追いついてきた。
「あの二人といても、面白くねぇからさ」
ウォーリィの言いようを聞いて、ケインが小さく笑った。
ケインがボルタック取引所の扉を開けるなり、寂のきいた声が掛かる。
「いらっしやいまし、旦那方。何がご入用ですか?」
取引所の主人が、陳列棚の奥から顔を見せていた。
この取引所は、他の町の鍛治屋等と違い、武器や防具、そして巻物や霊薬まで手広く扱っていて、迷宮内で必要な品物は大抵、何でも揃うようになっている。その為か、迷宮に挑む者が、大体一度は訪れる所である。しかし、噂では一度訪れただけで、二度と訪れられない者がかなり多いのが、特徴だとも言われている。迷宮に入って二度と戻らない者達が、いかに多いかが知れる特徴だ。そして、この特徴がいかに知れ渡っても、人は迷宮に挑むのだ。それぞれの目的、信念を抱いて。
「えっと、長剣と……」
アンディは店先に陳列してある品物を見ながら、ゆっくりと店内を歩いた。
「……やっぱり、板金の鎧は高くて買えないか。じゃあ鎖の鎧と大型の楯。それに……と後は無理だな」
「鎖の鎧の大きさは、これで宜しいですか?」
主人は普通のヒューマン用の鎖の鎧を持ってきた。
「ああこれで良い。これでいくらになる?」
アンディはその鎧の大きさを確かめてから、主人に尋ねた。
「締めて155金貨になります。他の品物も御覧になりますか?」
「いや、いい。それをくれ。……ああ、それとこの装備処分できるか?」
アンディが今まで使っていた装備を主人に見せた。
「下取りは出来ませんが、それでよろしいなら」
勘定台に並べられた装備を一瞥し、剣も鞘から抜いて一目見た主人は、事も無げに言った。アンディにとっては思い出深い品物でも、その破損具合を見ると破棄するしかない。尤もアンディもそれは判っているので、何も言わずに一つ頷いた。
そのようなやり取りを、主人とアンディがしている間、ケインはウォーリィと一緒に、のんびりと店内を見て回っていた。特に何かを探しているという雰囲気はなかったが、ケインは何だかとても楽しそうにしている。
「俺の方は終わったぞ」
ケインとウォーリィにアンディが声を掛ける。
「ああ。じゃ、行こうか」
ケインではなくウォーリィが応えた。
「あんな時のケインには、何を言っても無駄なんだ。珍しい品物には目が無いらしい。あいつは珍しい品物を探す為に、探索してるって噂まであるんだぜ」
宿に帰る道すがら、ウォーリィがアンディに小声でそう囁いた。
宿に帰ると流石にビルも起きていて、そのまま迷宮へ向かう事になった。迷宮の入口には誰が立てたのか、立て札があり、その立て札にはこう書いてある。
『邪悪な魔術師ワードナの迷宮―未だワードナに会った者も無し』
「俺達の手で、この立て札を覆してやろうぜ!」
ウォーリィが気合いを入れるかのように怒鳴った。するとその声に動かされたのか、立て札の横にある岩に見えたものが動いた。それは屈強そうなドワーフだった。
「皆、そのような事を言いながら、迷宮に入って行く。そして、この立て札は、今も此処に立っている」
ドワーフはそう言うと、また立て札の横に戻り、動かなくなった。
「やな奴」
ケインが忌ま忌ましそうに吐き捨てた。
不安と期待を抱いて、六人の若者達は迷宮へと入って行った。
迷宮の入口にある階段を降りると、道が右と前に分かれていた。
「どっちにするかなぁ?」
ビルが誰にともなく言い、右の通路に進んだ。アンディは、初めて迷宮の中に入るという事で、かなり緊張した様子である。ウォーリィは口笛でも吹きかねない程上機嫌だった。ケインは通路の石造りの壁を、盗賊特有の鋭い目つきで見ている。迷宮内は真っ暗ではなく、発光苔が生えている。この為、僅かながら光があり、自分の足元くらいは見る事が出来る。しかし、通路を見渡せる程明るくは無いので、時々、通路の真ん中で敵の奇襲を受ける事もある。そしてソフィーは、呪文の栄唱の事を考えているようで、時々呟くような声を出している。一番後を歩いているジェフは、この薄暗がりで何やら手に持っている物を見ていた。
少し行くと左側に扉があり、通路は行き止まりになっているようだった。
「扉の向こう側には、大体敵が待ち伏せしている。アンディは迷宮内で初めての戦闘になるから、覚悟が出来てた方が良いだろうと思ってな」
ビルがアンディに言い、ウォーリィがビルの言葉にアンディが頷くのを見て、扉を蹴り開ける。扉の向こうには待ち構えるように、骸骨が三体立っていた。
「アンデッドコボルドだ。こいつは強いぞ! ソフィー、解呪を」
ビルが真ん中のアンデッドコボルドに突っ掛かり、一瞬後れてアンディは右、ウォーリィは左のアンデッドコボルドに切り掛かった。ウォーリィとアンディは一撃で骨を切り裂き、アンデッドコボルドは動かなくなったのだが、ビルは剣の当たり所が悪かったらしく、アンデッドコボルドはビルに切り掛かろうと剣を構えた。
「我が神の御名において!」
その時ソフィーの声が響き、アンデッドコボルドはただの骨に返っていた。
「まだ栄唱に時間がかかってしまいます。すみませんでした」
そう言うソフィーに、ビルが礼を言っている。
その間ケインは楽しそうに、敵が守っていた宝箱を調べていた。
「ふん、気絶か。どーとゆー事はねーな……。開いたぞ」
中には少量の金貨が入っていただけだった。アンディは知らなかったが、この辺りではこの程度が普通で、ケインも期待外れ、といった顔はしてはいなかった。
ケインは昔から、鍵などを開けるのが好きで、その為に盗賊になったようなものなのだ。普通の泥棒にならなかったのは、普通の家等の鍵では、構造が簡単すぎて直ぐに開けられてしまって、満足でき無かった所為らしい。しかし迷宮を探索をしている者達の噂によると、この迷宮の扉には、鍵が掛かっている事は無いと言う。扉の奥に仕掛がある事はあるらしいが、どんなに技に長けた盗賊でも、その仕掛を外す事は不可能だとも言われていた。
「この部屋にはもう何も無いらしいなぁ。アンディも大丈夫のようだし、少し奥迄行ってみるとしよう」
ビルが皆の顔色を見ながら言った。皆も同意し、部屋を出て左に進もうとしたが、行き止まりだった。
「しょうがない。戻ろう。しばらくは魔物達との戦い方に慣れる事に専念しないと、迷宮の奥へは行けないからなぁ」
例によって誰に言うともなくビルが呟き、階段の方へと向かって行った。ビルの呟きの通り、アンディ達はこの辺りをうろついて、魔物達との戦い方に慣れる事にした。あまり奥へと行き過ぎて毒等を受けるなどの突発事故があった場合に、城迄帰って来れないという事態になりかねないからだった。自分達の実力を正当に評価して行動を決めないと、この迷宮内で生き残る事は出来ない。
ジェフは初めての所に来ると、紙を取り出して、紙と迷宮を見比べていた。その紙には迷宮の地図が描いてあった。ジェフが以前に組んでいた者達と別れる時に、写させてもらった物である。かなり奥まで描かれてはいるが、間違いが多い物で、それをジェフが補修しているのである。
アンディ達がそれぞれに十分慣れる迄、階段を降りて、北に真っ直ぐ進む道の突き当たりにある扉は、開け無い事にした。
アンディが大分迷宮や戦闘に慣れ、ビル達とアンディも連携をうまく取れるようになったので、奥の扉を開ける事になった。
「まがりなりにも扉だから、敵が待ち伏せしているだろうなぁ」
呟きと同時にビルが扉を開けた。そこには、見慣れない人型生物が四匹立っていた。
「何だか判らねぇが行くぜ!」
ウォーリィが切り掛かって行き、後れじとビルとアンディも切り掛かる。しかし、攻撃出来る人数は向こうの方が多い、その上それなりに打たれ強いらしく、このあたりにいる敵なら、殆ど一撃で倒せるようになっていた、戦士達の攻撃でも倒れない。そこでジェフが、その人数差を埋めようと呪文を唱える。
「眠れ。動きを止め、我が言の葉のままに。誘眠!」
ジェフの声が迷宮の通路に響いたか思うと、次々とその人型生物は眠りに落ちていった。戦士達は、眠りに落ちた人型生物に止めを刺す。
「これはコボルドのようです」
ジェフが人型生物の死体を見て言った。ジェフは魔術師と言うだけあって、魔物の事なども詳しい。今までも、色々と魔物の特徴などを戦士達に助言し、事なきを得てきていた。
「あまり知能は高くなく、粗暴で臆病な種族と聞いていますわ」
それを補足するかのようにソフィーが言う。ジェフには劣るが、ソフィーも色々な事を良く知っている。魔物の事もジェフに劣らず知っているようにも思えるが、ジェフの知識を補足するようにしか意見を言わない所がある。ジェフはジェフで弱点などは惜しみ無く話すが、それ以外の特徴などについては聞かない限り答えない所があるので、良い組み合わせと言えないこともなかった。
扉の奥は細長い空間があった。アンディ達は左の方へ向かう。少し行くと、奥が全く見えない場所があり、側に看板があった。
「『回廊の終りを越えようとしている。引き返しなさい』かぁ」
ビルは囁くように看板の文句を読み、振り返った。
「ここは言う通りに引き返そう。奥が見えないのも不気味だし」
そして今度は、皆が聞こえるように言う。
「右側に道があります」
ジェフが地図に通路を描き込んで、通路の方を指差した。
「なかなか、面白そうな気がするぜ」
ウォーリィも通路を覗き込んでから歩き出した。その後を追うように、皆が続いた。通路を真っ直ぐ行くと、下りの階段があった。
「階段を下るのは、未だ止めておいた方が良いでしょう」
ジェフは相変わらず、地図に何かを書き込んでそう言った。
「そうだなぁ」
ビルが呟き、元来た方へ向かおうとする。
「降りてみようぜ」
ウォーリィが階段を覗き込むように見ていた。興味津々と言ったその表情は、何か楽しい事に出会えるのではないかという期待に、輝いているようだった。
「この階だって、未だ探索が終わってないんだ。階段を降りるのは、この階の探索が終わってからの方が、良いんじゃないのか?」
あまり意見を言わないようにしていたアンディも、この時は控え目だが口を挟んだ。ウォーリィはそれでも先に進もうと言ったが、ソフィーは言葉柔らかに反対し、ケインが悪態をつきながらも反対するに至って、ウォーリィも諦めるしかなかった。来た道を引き返すと、階段へ来る途中に扉があり、その奥には、扉が左右向かい合わせに付いていた。
「どちらの扉が良いかなぁ」
ビルは呟きながら、既に左側の扉を開けようとしていた。しかし、向こう側から扉が開き、その途端、ぼろを纏った男が襲って来た。アンディ達は十分注意していたつもりだったが、迷宮内で人と戦うのは初めての所為もあり、咄嗟に対応でき無かった。相手は力も強くは無く、余り強力な武器も持っていなかったのだが、戦士達はそれぞれ、それなりに傷を負った。しかし、アンディの長剣が一閃すると、もう敵は動かなくなっていた。彼等も宝箱を持っていたが、ケインが難無く開ける。そしてケインの提案で、奥へは行かずに、反対側の扉を開ける事した。反対側の扉の奥には、コボルドが三匹待ち構えていた。
「行くぞ」
声を掛けてから、ビルはコボルドに切り掛かり、そのコボルドは動かなくなった。アンディとウォーリィも、それぞれの前にいるコボルドに突っ掛かり、コボルド達は逃走する間も無く地に伏した。
「フン、刃か。危ねー罠の一つだな……しまった!」
例のごとく宝箱を調べ、呟きながら罠を外していたケインが、いきなり叫ぶと倒れてしまった。
「大丈夫か?」
ビルがケインの肩を揺する。
「……な、なんとかな。油断したぜ、ちくしょー」
ケインは少し苦しそうに答えた。宝箱の罠を作動させてしまって、中から飛び出した刃を避け損なったのだ。
「呪文を掛けましょう。動かないでいて下さいね。我が神カドルトよ、この者の傷を癒し給え。薬石!」
ソフィーが、ケインの傷に手を当てて呪文を唱えると、一応傷は塞がったらしい。ケインは少し照れながら、ソフィーに礼を言っている。
「ケインの傷も完全には塞がってないし、俺達も少なからず、傷を負ったしなぁ、町に帰るとしようか」
ウォーリィが少々不満そうな顔をしたが、文句は言わなかった。こういう所で無理を言わないから、ビルはアンディと初めて会った時に『少し無謀な奴もいるが、押さえられない事はない』と言ったのだろう。
途中、敵に会う事もなく、アンディ達は無事に町まで辿り着いた。
アンディ達は、五日程町で休んで再び迷宮に入った。あの奥の扉を開け、今度は東に伸びる通路を行ってみる事にした。左側に等間隔で幾つか扉があり、少し行くと行き止まりになっていた。
「行き止まりかぁ。しょうがない戻って何処かの扉を開けよう」
「ちょっと待ってくれ。この壁、何か変じゃねーか?」
ビルが引き返そうと踵を返したが、ケインは壁を叩いたり、撫でたりしていた。
「そうか? 別に他と変わっているようには見えないが」
アンディも壁を拳で叩いてみたが、何も変わった様子は感じられ無かった。
「いや、変だ。何処が、とは言えねーけど変だ」
皆の訝しげな視線にも臆せず、ケインは頑強に主張する。
「あの、明りを灯してみましょうか?」
「そうしてみてくれ。ケインも納得するだろうしなぁ」
ソフィーの申し出にビルが頷く。
「我が神カドルトよ、この暗闇に負けぬ光りを灯し給え。光明!」
ソフィーが呪文を唱えると、ソフィーの手の上に、丁度ソフィーの手のひら程の光の球が出来、迷宮内に柔らかな光を灯し始め、壁だと思った場所扉を浮かび上がらせた。
「扉だ! 隠し扉だったんだ!」
「行ってみようぜ!」
ウォーリィが喜々とした調子で言い、扉の奥へと進んだ。
「今、何か変な感じがしませんでしたか?」
二方に二枚ずつ、別の一方に三枚の扉がある部屋に入るなり、ジェフが不思議そうな顔をした。
「確認しますから、少し待ってください。定められし所、今我にその場を明かせ。明瞭! ………やはり。先程の通路の何処かで移動させられたようです」
「現在位置は判ったようだが、帰れるか?」
「この地図が確かなら、大丈夫でしょう」
ビルの問い掛けに、ジェフが地図を見ながら答える。
「なら、大丈夫だろ。それより扉、開けようぜ」
気楽にウォーリィが言った。ジェフが補修している地図で、実際と違っていて困った覚えが未だない所為だろう。今まで判っているジェフの地図の誤差は、そう大きなものではなかったからだ。
「まあしょうがない。開けてみようかぁ。どれからにする?」
例のごとくビルが呟きながら、左奥の扉を開けた。その部屋には、頭が猫で身体が鶏の、不気味な青銅製の獣を模した彫像があり、縞瑪瑙の台座に乗っていた。そしてその台座には、不自然な傷跡があった。
「飾り台の傷跡が気になんな。調べてみよーか」
ケインが盗賊らしい鋭い眼力で、像を調べ始めた。アンディ達も部屋の中を見回っている。
「鍵みてーのがあったぜ」
少しして、ケインがそう言いながらアンディ達の所に戻って来た。
「傷の直ぐ下に穴があってさ、そこに入ってた。けど、何処の鍵なんだ?」
「さぁ? まぁ、捨てる事もないしなぁ。持って帰る事にしよう」
ケインが言うのに、ビルが答えた。
「他の扉も開けてみようぜ」
ウォーリィはそう言いながら、身体は既に扉の外に出ていた。
「そうしようか。これだけで帰ると言うのも何だしなぁ」
ビルが誰にともなく言いながら、部屋から出て行く。アンディ達も、この部屋でなすべき事はもうなさそうだったので、直ぐにウォーリィ達を追う。大体において、迷宮内で仲間がはぐれるのは好ましい事ではない。特にまだ、充分な経験もない彼等では、仲間とはぐれる事は死を意味するだろう。
真ん中の部屋は移動の仕掛があって、外の部屋の中央に戻されるだけだった。移動の仕掛に敏感なジェフがいるので、迷うと言うことにはなっていないが、そうでなければ、移動の仕掛というのは掛かったのに気付かず、自分の現在位置も見失ってしまいかねない危険な罠なのだ。そうでなくても、移動先から無事に戻れるという保証はまったくない。
右端の部屋に入ると、頭巾を被った、人型の大きな彫像が見えた。頭巾の穴から金色の光が漏れていて、その彫像には様々な形の宝石がちりばめられている。彫像の前には祭壇があり、その祭壇には、新しい香が焚かれていた。
「何か、祭ってあんのか」
「それにしては、香はおかしくないか?」
ケインにアンディが応える。しかし、ケインには像の価値の方が気になると見え、上の空である。しばらくその部屋で像を調べていると、何やら白い靄のようなものが出て、次第に人の形を作っていった。
「何かいるぞ!」
ウォーリィが、逸早くその白い靄に気付き声を出した。その声に反応するように、その靄ははっきりとした人の形になった。その人の形は鎧や法衣ではなく、平服を着た普通の町人のように見えたが、身体が透けている。
「幽霊です。気を付けて下さい。幽霊に触ると、麻痺するとも言われています」
ジェフは言いながら、ケインは黙って戦闘の邪魔にならないように下がる。
「判かった。ソフィーは解呪を。行くぞウォーリィ、アンディ」
アンディ、ウォーリィ、ビルが切り掛かっていき、ソフィーは解呪を唱えるべく栄唱を始めた。
「汚れし邪なる世に棲まう、彷徨える魂よ、その故き里たる冥き世へ、今直ぐ立ち去るが良い。我が神の御名において!」
何時もならソフィーの詠唱が終わると同時に、敵が消滅するはずなのだが、幽霊は何の打撃も受けなかったように、アンディに手を伸ばしてきた。
「私の力以上の存在ですわ。解呪する事ができません! 気を付けて下さい!」
ソフィーは言い、後ろに下がった。こうなると戦士達の剣に頼る他はないのだ。
アンディの頭を幽霊相手に剣で戦って、勝利を得る事が出来るのだろうか、という疑問が掠めて行った。尤も、アンディは不安になりながらも、懸命に長剣を振るっている。そして、アンディ達は、かなり長い時間が掛かったものの、何とかその幽霊を倒す事が出来た。幽霊と言っても、単に攻撃が当たりにくいだけで、当たれば剣での攻撃がちゃんと効く。噂では幽霊などの一部の不死者は剣等での攻撃が全く効かず、呪文でしか、倒せないと言われていた。しかし、少なくとも、この幽霊に限って言えば、その噂は当てはまらなかったらしい。ジェフの呪文は全くと言って良いほど効かなかったのだ。
ビルとウォーリィがかなりの傷を負ったが、ソフィーの呪文のおかげで大分良くなっている。アンディは酷く息を乱していたが、傷は殆ど負っていなかった。
「一階辺りでこんなに強い敵はいない、と聞いたんだが、よく倒せたなぁ」
戦闘が終り一息ついた頃、ビルがウォーリィの元気そうな顔を見ながら呟いた。
「しかし、なかなか面白かったぜ」
「俺は面白くねー! こいつ宝箱持ってねーんだ」
ウォーリィが楽しそうに言うのに、ケインが食って掛かる。部屋を見渡しても、彫像以外、何もない。
「呪文も、もうあまり掛けられないだろうし、帰ろう」
ケインを宥めながらビルが言い、アンディ達は町に帰る事にした。
「こちらです」
ジェフが地図と通路を見比べて皆を導く。あまり遠く迄は見通せない通路だが、地図との違いはないようだ。
「以前組んでいた者達と、この地図を見ながら帰ったので、大丈夫だとは思うのですが……。何か……」
ジェフは小首を傾げながら進んでいく。しばらく扉もない平凡な通路が続いていたが、通路の前方に奥が全く見えない場所があった。一般に暗闇と呼ばれている所だ。ビルは暗闇を見ながら、何かを思い出そうとしていた。
「暗闇かぁ。そう言えば、回廊の終りを何たらって書かれた、看板があった所の奥も、こんな感じだったなぁ」
「ええ。しかし、我々はこの中を通らなければなりません」
「しょうがないかぁ」
ビルの呟きを聞きながら、アンディ達は暗闇に入って行った。
「しかし、何も見えねーな」
ケインがぼやく。盗賊のケインは普通の人よりも、夜目が聞く事を自慢していたが、この暗闇の中では辛うじて、自分の手元を見る事しか出来なかった。
「大丈夫なのかぁ、ジェフ」
「大丈夫です。此処に入る前に地図は覚えました」
ビルが心配そうに言うのに、ジェフが応える。少しして、一行は暗闇から抜け出した。
「何か、見た事ある場所だな」
ウォーリィが辺りを見回している。
「この看板!」
「『回廊の終りを越えようとしている。引き返しなさい』だあ? インチキじゃねぇか」
ウォーリィと辺りを見回していたアンディが叫び、ウォーリィは看板を叩きながら文句を言う。
「この暗闇の中、もう少し真剣に探索した方が、良いかもしれない。あんな風に書いてあるからには、何かあるんじゃないか?」
アンディが皆を見回す。いつも控え目なアンディにしては珍しい事だが、皆もそれに異存は無かった。
「考えられる事です。町で十分に休憩を取ってから、探索してみた方が良いかもしれません」
「その方が良いだろうなぁ。まあ、とにかく今は町に帰ろう」
ジェフが応え、ビルは頷きながらも町に向かって歩き出した。ウォーリィなどは、体調さえ充分なら、今からでも探索したいだろう。尤も、今の状態では言っても無駄だと思っているのか、流石にウォーリィも疲れているのか、先に進もうとは言い出さない。
心残りはあるものの不十分な体調で、しかも、呪文も使い果たしたような今の状態では、如何ともし難く、アンディ達は町へと向かった。途中でオークの一団と出会ったが、難無く退けて町に戻った。